
世界で3番目に…
フィリピンの主要言語は、タガログ語。
しかし、英語も公用語として広く使われていて、アメリカ、イギリスに次いで『世界で3番目に英語を話す人口が多い国』がフィリピン。
その為、フィリピン人の会話を聞いているとタガログ語と英語が混ざっているのに気づく。日本在住のフィリピン人は、これに日本語が混ざってくる訳だが…。
またスペイン統治の名残りか、時刻を表す時などはスペイン語が使われる。
フィリピンに行く度に、妻やその家族の会話を聞きながら、フィリピン人はすごいな~と感心するばかり…。
またフィリピンは無名の小島や珊瑚礁を含めれば、約7100の島々から成る島嶼(とうしょ)国家。
首都マニラがあるルソン島では主にタガログ語、リゾート地で有名なセブ島周辺地域ではセブアノ語、ミンダナオ島サンボアンガ州ではスペイン語との混成言語(チャバカノ語)等々、少数言語も含めれば100以上の言語が使用されているという、主要言語が日本語だけの日本人からすれば、信じられない状況がこの国の特徴だ。
同じフィリピン人でも、島ごとに話す言葉が違うとなれば、そんな時は公用語の英語が役立つのだろう‥とも思える。
フィリピンは確かに英語が通じ、アジア諸国の中でも珍しく英語が公用語な国。
その為、近年は日本人のフィリピンへの英語留学がブームになっているのはご存知の通り。大統領が英語で演説しているのがTVに映ったり、ラジオ放送も英語で話す事や洋楽ポップスがよく流れている。
究極の方法は?!
しかし、フィリピンといえば、やはりタガログ語!
簡単なあいさつなどをタガログ語で言えば、フィリピン人も笑顔であいさつを返してくれる。
カタコトの日本語を話す外国人に、日本人が何となく親しみを感じるのと同じだ。
さて日本にいながらタガログ語を覚えるとなると、今ならスマホのタガログ語アプリとか、スカイプを使ったタガログ語講座など、結構便利なものがある。
私がタガログ語に興味を持った20年位前は、タガログ語入門書とかそれに付属のCDくらいしか学習教材が無く、今とは雲泥の差…。
本で外国語を学ぶとなると、堅苦しい表現だったり、現地の人が日常生活ではあまり使わない表現も多い。また、小難しい内容が多く挫折しがちで、結局簡単なあいさつや単語しか覚えられなかったりする…。
実際、私もそんな経験をしている。スピードラーニングのタガログ語版があれば…と何度思ったことか!
そんな日本にいながら、何としてもタガログ語を覚えたいんだ!という方には、フィリピンパブでフィリピーナのお姉さんに教えてもらうというのも、ひとつの方法かと…。
アプリなども便利だが、マンツーマン授業?!のフィリピンパブに興味のある方は試してみては…?
(本当に使えるタガログ語をマスターできるかは、あなた次第?!)

彼女の家まではマニラから約2時間だという。
迎えに来た車に揺られながら、初めて見るフィリピンの街並みに驚きの連続だった。
空港周辺から市内は渋滞が激しく、道路はジプニー(ジープの荷台が長い乗り合いバスみたいな乗り物)、タクシー、トラック、普通車、バイク、歩行者が入り交じり、ごちゃごちゃしている。
行き交う車の中には、日本の中古車も多く見受けられる。
また、日本ではもう到底走ってないだろう、ボンネット型ダンプ!!とかのとんでもなく古い車や、壊れかかっているような車が当たり前に走っているのも印象的だ…。
そして…排ガスの強烈な臭い。ジプニーは米軍のジープを改造したものと聞いていたが、おそらくディーゼル車なのだろう。
あれだけジプニーが多ければ、排ガスの臭いもうなずける。
また片側2車線以上あると思われる道路も、日本みたいにライン表示はない(交通量の激しさにラインが消えてしまったのかもしれないが)。
隙間を埋めるように車が3~4台並んで走っているのは当たり前。
横断歩道表示など無いに等しいから、歩行者はどこでも道路を横断する。
そして、信号機は日本より極端に少ない。
道端にはフルーツや古着などを売る屋台が出てたりして、日本ではまず見れないだろう風景が目の前に広がっていた…。
渋滞で車が止まると、窓が少しでも開いていようものなら物売りがすかさず声をかけてくる。
タバコは1本からバラ売りしていて、バナナやお菓子、サンパギータ(フィリピンの国花)の首飾り等々。
物売りといっても、ストリートチルドレンのような子供も多く、またサンパギータの花売りはとても貧しい人々がする仕事だという。
開いてる窓から手を入れて盗みをしようとする者もいるから、車の窓は開けないように!と彼女からは言われた。
フィリピンはもっと後進国かと勝手に思っていたが、この交通量の多さは意外だったし、車のエンジン音、クラクションで騒々しい街中、人の多さは活気を感じさせた。
それでも、道端にはホームレスらしき人が昼間から寝転んでいたり、貧富の差を垣間見た気がした。
フィリピンにはその後も何回か行くことになるが、そんな街並みが自分は何となく気に入ってしまった…。
ここは一体…
予定時間をかなりオーバーしてしまったが、何とか空港の外に出ることが出来た。
しかし、目の前に飛び込んできたものは‥!!
道路の向こう側には駐車場へ向かう地下道があり、その周囲には人が入ってこれないようにフェンスが張り巡らされているのだが、そのフェンスが鈴なりの人だかりで(多分、出迎えの家族なのだろう…)、しかも、皆こちらを見ながらそれぞれに何か叫んでいるではないか!
道路の脇に止まっているタクシーの列からは、「○○サ~ン、コッチコッチ!」などと何人もの白タクの運転手らしき男達が、カタコトの日本語で適当な名前で自分を呼びながら手招きまでしている。
それにしても、とにかく騒々しい!!!
車のエンジン音、けたたましいクラクション、出迎えの人達の叫び声、里帰りしたフィリピン人やその家族の話し声、車両を誘導する警備員の笛の音…
いろんな音、そして車の排ガスの臭いが混ざり合い、何とも言えない雰囲気が付近一帯を支配していた。
日本の夏とは違う南国特有の蒸し暑さというか、体で感じる熱風に額、背中に汗が瞬く間に吹き出してくる…!
「これは…とんでもない所に来てしまったぞ!」
と、いきなりのカウンターパンチを食らったような感覚に陥った…。
果たして彼女に会えるのか?!
時間をかなりオーバーしたから、もしかしたら彼女は家に帰ってしまったかもしれないな…。
そんな想いが頭に浮かんだが、とにかく待っているはずの場所に向かってみようと歩き始めると、制服姿の警官と色黒で口髭を生やした一人の男が、こちらに近付いてくるではないか!
「アナタ、マツダミキオ、サン?」
警官に簡単な日本語でそう尋ねられ、思わず
「はい、そうです!」
と答えていた。
口髭を生やした男は、実は彼女の一番上のお兄さんで、空港内のカメラに映っているのを見て迎えに来てくれたという。
そして、警官、彼女のお兄さんの後をついていき、駐車場へ…。
そこには、三ヶ月前に日本から帰国した彼女の姿があった!!
南国の陽射しの下で見る彼女は、日本にいた時よりも眩しく見えた…。
「イカウ(タガログ語で、あなた、の意味)、来ないかと思ったよ‥」
自分が入国審査、荷物探しで予定をかなりオーバーした為になかなか出て来ないので、多分来ないからもう帰ろう、と彼女はお兄さんに言ったらしい。それをお兄さんが、もう少しもう少しと待っていてくれたのだった。
この一番上のお兄さんには、その後も何かとお世話になることになるのだが…。
とにかく、彼女に会えてホッと一安心し、やっと心が落ち着いてくるのを感じた。

期待と不安
彼女の住むフィリピンへ初めて行ったのは、もう20年近くも前のこと。
海外旅行はそれまでも何度か行ったことはあったが、フィリピンは初めてだ。
一体どんな国なんだろう…彼女の家はどんな感じなんだろう…マニラから遠いのかな?
ご両親に結婚を許してもらえるだろうか?…兄弟姉妹は…?
次から次へとそんな想いが頭の中で浮かんでは消え、出発前からソワソワしていた。
定刻を少し回ったAM10時前に、期待と不安を胸に乗り込んだフィリピン航空431便は成田空港を離陸し、1月の日本の寒空をフィリピンへと向かった…。
約4時間のフライトで彼女の待つフィリピンへ着く。
初めて訪れる国、フィリピン航空、機長のフライト前のタガログ語でのアナウンス!
もう気分は高揚し、不安よりも期待が大きくなっていた…。
そして午後1時過ぎ、まもなくマニラ空港へ到着のアナウンス。窓から見える街並みが段々近付いてくる。
都会的な高層ビルもあるが、トタン屋根みたいな民家が多く、ごちゃごちゃしたところだな…というのが上空から眺めたマニラの第一印象だった。
当時はまだ第2ターミナルはないので、古い第1ターミナルへ到着。天候は薄曇り、気温35℃くらいと記憶している。滑走路の向こうに見えるヤシの木が、本当にフィリピンに来たんだな!と感じさせた…。
飛行機を降り、入国審査場へ向かうが、やはり噂通りの混雑振りだ。
狭いうえに大勢の乗客が階段にまで列をなして待っている。
世界でワースト1とも言われる、マニラ空港の評判の悪さを身をもって感じた。
これがフィリピンなんだ…妙な余裕で順番を待っていた自分に、後でトラブルが起こるとは、この時は思いもしなかった‥。
入国できない?!
何分、いや何十分待っただろうか…やっと自分の順番が来た。
パスポート、航空券、入国カード、税関申告書を審査官に差し出し、入国スタンプが押されるのを待っていたのだが…?
審査官の女性が怪訝そうな顔になった。何か問題があるらしい。
英語で尋ねられたが、悲しいことに英語が苦手な自分には意味が分からない!
さすがに審査官も困り果ててしまい、隣の同僚に相談し始めた。
他の乗客の好奇の目に晒され、30分くらい待っただろうか…乗客の一番最後に入国スタンプを押されて、やっと入国出来た!
その時は理由がわからなかったが、入国カードと税関申告書にフィリピンでの滞在先住所が記入してなかった為と後に判明。どうやら、機内で配られた時にすぐに書かず後回しにして、そのまま忘れてしまったらしい…。
今思い出しても、よく入国させてくれたな、と感謝するばかり。
一万円札を…
やっと入国でき、人影もまばらな中を荷物受け取りのターンテーブルへ行くと、荷物が一つも無い!!
入国審査で手間取り、かなり時間をオーバーしてしまったから荷物を片付けられてしまったようだ。
荷物預り所のような所を見つけ、何とか探し出してもらえた。
お礼を言って空港の外に出ようと歩き出すと、荷物を探してくれた男もついてくるではないか!
「おカネ、おカネ!」
??
どうやら、探してあげたからお金ちょうだい!ということらしい。
今ならタガログ語で、「ソーリー、ワランペラー!(ごめんね、お金ないよ!)」とか軽く流してしまうだろうが、右も左もわからない初フィリピン、チップだと思い千円くらいなら…と財布を見ると一万円札が数枚で千円札がない!
目の前の男は、お金が貰えるのを待っている…。
ここで一万円払うなんていいカモだ…。
わかってはいるが、だいぶ時間がオーバーしていて外で待っているはずの彼女が気になっていたのと、早く外に出たい気持ちが強かった為、一万円札を一枚、男に渡してしまった…!
男は嬉しそうに一万円札を受け取ると、カタコトの日本語で「アリガト!」と言って立ち去っていった。
思い出しても恥かしいこの出来事も、高い授業料と思えば…。
空港の外に出ると、初めて感じるフィリピンの熱気が全身を包み込んだ…。

あるフィリピーナとの出会い
子供の頃からTVなどで身近な外国といえば、アメリカ、イギリス、フランスなどのいわゆる先進国で、ニュースや映画、ドラマでそれらの国の文化や生活ぶりに触れていた。
日本とは違い、広い庭にお洒落な家、豪華な食事、大きくてカッコイイ車に乗り、金髪の素敵な彼女…そして広大な自然…
「外国っていいなぁ…こんな生活してみたい・・・!」
子供心に、そんな憧れを持ったのを覚えている。
今でこそ新興国と呼ばれ、経済発展が著しいフィリピン、マレーシア、タイなどの東南アジア諸国も、自分が子供の頃はまだまだ貧しい国というイメージが強く、加えて第二次大戦で日本が残虐行為を行い大きな被害を与えた国々、と学校で教えられていたので、華やかなイメージのアメリカやヨーロッパ諸国に比べて、暗いイメージしかなかった。
日本人旅行者がスリ、殺人などの被害に遭ったり、クーデターなどの政情不安のニュースを聞くたびに、東南アジア、特にフィリピンは危ない!と好きになれずにいた。
ファーストタイムの彼女に…
二十歳の時、職場の先輩に連れられて、初めてフィリピンパブに行った事があった。
その先輩は、お気に入りのフィリピーナ目当てにそのお店に通いつめていた強者、当時まだ珍しい俗に言うピン中だった訳だが…。
時はバブル時代の絶頂期。
毎週末には友人と飲んだくれていたが、その頃日本全国に広がりつつあったフィリピンパブには全く興味がなく、日本人の女の子のお店にしか飲みには行かなかった。
おごってやるよ、という先輩の言葉に少々気が向かなかったものの、フィリピンパブへ行くこととなった。
お店に入りテーブルにつくと、女の子が二人つく。
先輩には指名したお気に入りの女の子が、自分にはもう一人の女の子が隣に座る…。
「ハジメマシテ~○○デース…ヨロシク~♪」
初めて目の前で見るフィリピンの女の子は、化粧が濃く、TVなどに出るフィリピンパブのフィリピーナそのもの。
そんな彼女の第一声に、うわっ!と思わず拒否反応が湧いてきてしまった…。
聞けば何と彼女は、初めての日本だというではないか!!
「オナマエハ、ナンデスカ?ナンサイデスカ?」
「オシゴトハ、ナンデスカ?」
片言の、本当にタドタドしい日本語でいろいろ聞いてくる。
簡単な日本語しか通じないため、こちらも英単語を交えながらの会話が続く…。
しかし、そんな会話も長くは続かない。時々沈黙の気まずい空気が流れ出す。
先輩はというと、お気に入りのフィリピーナと楽しそうに盛り上がっている。
「ウタハ、スキデスカ?」
彼女の一言に、たまらずカラオケに逃げ場を求め、残りの時間のほとんどを歌って過ごすことに…。
そんな初フィリピンパブだった。
心に残ったモヤモヤした感情…
じゃぱゆき、と呼ばれる日本への出稼ぎのフィリピーナ、たどたどしい日本語、以前から持っていたフィリピンへのマイナスイメージ…。
それらが重なり、当時は好きになれなかったのかもしれない。
初めて日本に来て、わからない日本語に毎日悪戦苦闘し、辛いことに涙しながらも、故郷の両親や兄弟姉妹の為にお金を稼ぐ…。
そんな健気なフィリピーナを目の前にして、自分の勝手な思い込みから拒否反応を示したことが、とても残念でならない。
あの時の女の子が、今は幸せに暮らしていることを願わずにいられない。