オレンジ色のTシャツは…?!

ウーカイウーカイ

フィリピンに初めて行った21年前、

見るもの聞くもの、

それこそ何もかもが珍しく感じ、

 

マニラ空港から彼女(今の妻)の家に行くまでの、

車中から見える景色でさえも、

 

一つたりとも見逃すまい…

そんな感じだった。

 

 

彼女の家に着いてからも、

お洒落な感じの窓や、

天井に取り付けてある大きな羽根が、

まるで空気を攪拌するように、ゆっくり回っている様子に南国を感じ、

 

 

「本当にフィリピンに来たんだ!」

 

そんな感動が溢れてきた。

 

 

彼女のお母さんが作ってくれたフィリピン料理も、

私の口には合い、美味しく頂いた。

 

 

 

そんなフィリピン訪問だったが、

 

よく晴れた日の昼過ぎ、

「アサワコ、今からウーカイウーカイにいくよ」

と、彼女の一言。

 

 

ウーカイウーカイ?!

 

その何とも楽しそうな響きに誘われるように、

何のことかよくわからないまま、

彼女と、彼女のお姉さんと私の三人で、

 

ウーカイウーカイとやらに、出かけることになった。

 

何てことはない…

彼女の家のある通りを5分も歩かないうちに、

その、"ウーカイウーカイ" とやらに着いた。

 

 

「アサワ、着いたよ!」

 

そこは、

店先にジーンズがいくつも並べられていたり、

赤、青、黄色といった派手な色のTシャツがハンガーにかけられ、

天井から吊るされている。

 

6畳あるかないかという広さで、

私たち3人が入ると、

もう店内は身動きが取れない。

 

 

洋服屋さんかぁ~

 

 

だが、

ジーンズやTシャツは、どことなく『くたびれた』ようにも見える。

 

 

 

そう…

 

ウーカイウーカイとは、

いわゆる『古着屋さん』のことだった。

 

 

フィリピンでは住宅街に、

"サリサリストア"

と呼ばれる、日用品を売っている個人経営の小さなお店がアチコチにあるが、

 

ここのウーカイウーカイも、そんな感じだ。

 

 

そのためか、Tシャツのデザインも、

何となくイケてないものが多い。

 

 

「パゲ~ット…」(ダサ~い)

 

思わず、そんな声がお姉さんからも聞こえる。

 

 

それでも、何枚か気に入ったデザインのTシャツがあったので、

私はそれを買った。

 

 

好きな色だけど?!

ちなみに…

パレンケ(市場)には、ウーカイウーカイがいくつもあり、

お店によって商品のグレードが違い、

 

値段の高いお店には、やはりデザインも質も良い古着が多い。

 

 

見ているだけでも楽しい…

そんなウーカイウーカイ。

 

いや、見ていれば買いたくなるウーカイウーカイ…。

 

 

 

ただ、

オレンジ色のTシャツなどは、

フィリピン人は滅多に着ないらしい。

 

それは、

 

囚人服がオレンジ色だから…

 

 

なるほど~

と納得した私だった。

 

 

それが、

昨年のフィリピン訪問では、色とデザインが気に入り、

オレンジ色のTシャツを買ってしまったのである。

 

 

日本でしか着れないが、仕方ないですね。

 

サンパギータの花

 

ロジータの伝説

フィリピンの花というと、「サンパギータ」が有名ですが、
これはジャスミンの一種で、

良い香りがして、可憐な白い花がとても綺麗です。

 

 

マニラ空港を出ると、
サンパギータの花を繋ぎ合わせた首飾りを売っている子供の姿を、
よく見かけたりします。

 

 

 

そんなフィリピンを代表する花ともいえるサンパギータに、
悲しい伝説があることをご存知でしょうか?

 

 


まだスペイン人がフィリピンにやって来る前、
マニラ近郊に、バリンタワクとガガランギンという二つの集落があったそうです。

 

バリンタワクの領主には、ロジータという美しい娘がいて、

多くの若者が言い寄ってきましたが、
誰一人として、ロジータを振り向かせることができませんでした。

 

 

そんなロジータの心を射止めたのは、
ガガランギンの領主の息子である、デルフィンだったのです。

 

二つの集落は隣同士ながら、敵対関係にあり、

二人の親である領主も敵対しています。

 

 

しかし、誰もロジータとデルフィンの愛を止められません。

 

満月の夜に、

二人は集落を隔てている長く続く竹柵の一番端で、

密かに会っていました。

 

 

そんなある日、
バリンタワクの兵士が竹柵を壊してしまったことに端を発し、
ガガランギンとの間に領土紛争の危機が訪れます。

 

両軍がいよいよ戦端を開こうかという寸前、

 

 

ガガランギンの領主が病に倒れ危篤となり、
息子であるデルフィンが、戦の指揮を執ることになりました。

 

 

デルフィンには、戦闘の経験がありません。
そんな彼が戦場に出たら…

 

 

このことを知ったロジータは、
何とか戦いを止めさせようと使者を送ろうとしますが、

その前に戦いが始まってしまいました…。

 

 

 

激しい戦闘が何日も続き、
デルフィンも深い傷を負い、意識が薄れていきます。

 

 

「私が死んだら、ロジータと会っていた場所に埋めてほしい」

そう言い残し、彼は息を引き取ります。

 

 

 

そして、それを知ったロジータも、
失意のうちに病に倒れます。

 

何人もの医者が呼ばれましたが、

恋人デルフィンを失い、

悲しみに打ちひしがれたロジータを救うことはできず、

 

「私が死んだら、竹柵の外れに眠るデルフィンの横に埋めてほしい」
父にそう伝え、彼女は亡くなりました。

 

 

Sumpa kita!

それから長い年月が経ち、二つの集落も無くなり、

人々の記憶からも消えていきました。

 

 

そしてスペイン人がやって来てマニラの街を作り、
ガガランギンとバリンタワクのあった場所にも、人が住むようになりました。

 

 

しばらくすると、
二つの集落のあった場所に住むようになった人々から、

奇妙な噂が伝わるようになったのです。

 

 

 

毎年五月の満月の夜になると、若い女性の
「Sumpa kita!Sumpa kita!」(私は誓います!私は誓います!)
という可憐な声が聞こえてくる、と…。

 

しかし、声のする場所には白い花が咲いているだけ。

 

 

 

不思議に思った人々が、恐る恐るそこを掘り返してみると、

 

寄り添うようにして埋められた二つの亡骸が現れ、
白い花の根の先が、
二つの亡骸の口まで繋がっていたという。

 

 

 

それを見た長老が思い出したのです…

 

かつてこの地で、

デルフィンとロジータの悲しい愛の物語があったことを。

 

 

 

 

この話は瞬く間にフィリピン中に伝わり、

ロジータが白い花を通してデルフィンに伝えた
「Sumpa kita」という言葉は、

二人の永遠の愛を象徴する白い花の名前となったのです。

 

 

『Sumpagita (永遠の愛を誓う)』

 

 

 

 

この話を聴いた時、
私は涙が出てしまいました。

それと同時に、
サンパギータの花にまつわる伝説を今も大切にするフィリピンのことが、

今まで以上に好きになりました。

 

 

 

フィリピン人は、ロマンチストですね。

 

 

 

 

※なお、今回のこのお話は、
佐賀唯一のタイ式整体屋さんのブログから引用させて頂きました。
ありがとうございます

 

お母さん、ありがとう。。。

従姉妹

お兄さんから電話があったことなど忘れかけていた、

その日の夜8時過ぎ…

 

 

電話が突然、けたたましく鳴った。

 

妻の従姉妹で、

同じ県内に住むイメルダさん(仮名)からだ。

 

 

彼女は、私の妻と同じく日本人男性と結婚していて、

日本在住も20年を超えている。

 

イメルダさんのお母さんと、妻のお母さんは姉妹。

その為、彼女が昨年の春にフィリピンに帰った時は、

妻のお母さんにも会いに行き、

その様子を知らせてくれた。

 

 

私も、彼女には何度か会ったことがあるが、

心優しい女性だ。

 

 

「モシモシ、マツダさん?

 

コンバンハワ。。。」

 

 

いつものように明るい声だったが、

彼女の次の言葉に、思わず息が止まりそうになった。

 

 

 

「フィリピンからさっき電話があったんだけど、

ネネ(私の妻)のお母さん、

今日、亡くなったらしいよ。。。」

 

 

 

えっ?!

 

 

お母さんが、亡くなった。。。?!

彼女の話によると、

 

妻のお母さんは病院に運ばれ、

集中治療室で治療を受けていたが、

 

意識が戻ることは無く、

静かに息を引き取ったという。

 

 

イメルダさんも、何時に亡くなったとか、

詳しいことは、まだよくわからないらしい。

 

 

 

 

本当なのか?!

 

 

4月~5月のフィリピンは、

一年で最も暑い時期である。

 

今年も連日、40℃くらいまで気温が上がり、

 

時には、

42~43℃になる日もあったらしい。

 

 

80歳になるお母さんには、

連日の猛暑が体に堪えたのだろう。。。

 

 

 

 

そして、やっと気付いた。

お兄さんの朝の電話は、このことだったのか!

 

 

あれから電話は無いが、

Facebookを見ると、

 

妻の姪っ子たちが、横たわるお母さんの姿を写真に載せ、

お別れの言葉を書いている。

 

 

お母さん、ありがとう。。

その後、フィリピンから電話があり、

 

昨年の渡比でお世話になった、

日本語が話せるクリスティーナさん(仮名)が、

お兄さんに代わって、様子を詳しく教えてくれた。

 

 

 

亡くなったのが、まだ信じられない。。。

 

 

しかもコロナの影響による自治体の指示により、

遺体は亡くなったその日のうちに、

荼毘に付されてしまったというではないか!

 

。。。。

 

 

昨年、数年ぶりにお母さんに会った時、

涙が止まらなかった。

 

 

とにかく、お母さんには申し訳ない気持ちでいっぱいで、

言葉にならなかった。

 

『あなたは、私の日本の息子』

 

 

とまで言ってくれた、心優しいお母さん。

 

私にとっては、

『フィリピンのお母さん』でした。

 

 

 

昨年会ったのが、まさか最後の別れになるとは…

 

だが、もし昨年フィリピンに行ってなかったら、

今年はコロナ禍の影響で、

渡比できたかどうかもわからず、

 

後悔してもしきれないところだったかもしれない。

だから、

昨年お母さんに会えて良かったんだよ!

 

 

 

 

お母さん、

優しくしてくれて、本当にありがとう。

 

これからは、フィリピンのファミリーを見守ってあげて下さい。。。

 

別れは突然やって来る…

ピンぼけ?!

10月のフィリピン訪問から帰国し、

日本で普段の生活に戻っていた私だが、

 

 

実はフィリピンに行く度に、毎回あることに悩まされていた。

 

 

それは…

 

日本に帰って来ると、一週間ほど何事もやる気が起きないのである。

 

 

 

いわゆる、”ピンぼけ” (フィリピンぼけ)状態である。

 

 

眩しい太陽が降り注ぎ、人々の優しい笑顔、美味しい料理、フルーツ。

そして、

決してあくせくすることのない、″フィピンタイム″。

 

 

仲間とたむろし、

昼間から道端でビールを飲んで騒いでいても、

それが普通の光景のような国。

 

貧富の格差が大きく、

国民の半数以上が貧しいと言われるフィリピンだが、

皆、今を懸命に生きている。

 

そして、心から好きなことをしているから、

とびきりの笑顔ばかりだ。

 

 

その為か、

フィリピンに行くと素の人間に戻れるような、そんな気がするのである。

 

普段は、周りの視線を気にしている日本での暮らし。

 

それが、

フィリピンという、非日常的空間に数日間滞在するだけで、

人間として「生き返る」。

 

その喜びが大きいだけに、

帰国後の現実に引き戻されることに、

 

身体と心が、激しく抵抗するのである。

 

 

だが、

今回は数年ぶりのフィリピンだったのにも関わらず、

帰国後の ”ピンぼけ” が、無かったのである。

 

フィリピンが非日常に感じなくなってきた、ということだろうか・・・

 

出なかった電話

既に帰国から半年近くたった、5月初め。

 

コロナウィルスの蔓延は日本はもとより、世界でも猛威を振るい、

 

フィリピン国内では、

庶民の外出などの行動が厳しく制限されていた。

 

一家族のうち、

許可証を持つ者しか外出が許されず、

市場などへの買い物も、自由に出来ない状態だと聞いていた。

 

 

そんなある日、

Messenger の電話着信音が激しく鳴った。

 

時間は、朝の7時過ぎ。

妻のお兄さんからの、呼び出しだった。

 

 

「こんな朝早くから、一体何だ?!」

 

 

そう言えば先日も、

お母さんの通院代、薬代のお金を送ってほしい…

と言ってきたので、

 

「もう少し待ってて…」

 

と言っておいたのに、またお金のことか?!

それも、こんな朝から?!

 

 

 

そう判断した私は、呼び出しに出なかった。

 

 

ほどなく切れたが、

直ぐにまた呼び出し音が鳴った。

 

しばらく鳴り続けていたが、

結局、電話には出なかった。

 

 

しかし、

 

お兄さんからの電話が、お金の催促ではなかったと知るのは、

その夜のことだった。

 

カオスなフィリピン?!

ここは一体…?!

フィリピンパブのスタッフをしていた、

20代後半の時、

 

タレントとして働きに来ていた、

フィリピーナの彼女を好きになり、

 

結婚する為に、

1999年に初めてフィリピンを訪問。

 

危うく、

フィリピンに入国できない?!

 

そんなトラブルもあった、

 

記念すべき初訪問のフィリピンだったが、

 

マニラ空港の外に出た時の、

 

もわっ!とした熱風、

じっとしていても、

汗が吹き出てくる熱気、

そして、

喉の渇きを覚えるくらいの、

 

強い陽射し…。

 

 

しかし…

 

それは序章に過ぎず、

 

 

空港の外に鈴なりになっていた、

 

出迎えに来ている、

フィリピンの人たちを目の前にした時─

 

 

ここは一体?!

 

 

まるで、

 

異次元に来てしまったのか?!

 

 

一瞬、

 

そう錯覚するほどの衝撃だった。

 

 

こちらを見て、

思い思いに何か叫んでいるが、

タガログ語の為、

何を言っているのかわからない。

 

そして、

近くを通る車の、

けたたましいクラクション。

 

それらを誘導する警備員の笛の音と、

車のエンジン音。

 

排気ガスの、むせるような匂い。

 

 

それらが入り交じり、

何事かと思うような喧騒に、

辺りは包まれていた。

 

無事に彼女と再会を果たし、

彼女の実家に向かったが、

 

マニラ市街地の渋滞は、

聞いていた以上だった。

 

 

日本では、

秩序ある道路交通が成立しているが、

 

前の車とぶつかるくらいの車間距離、

渋滞でも少しの隙間があれば、

クラクションを鳴らしながら、

我先にと割り込むのは当たり前、

 

それをジグザグに繰り返しながら、

前に進んでいく。

 

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俺が社長だ!!

パラダイス?!

20歳の時に、

先輩に連れていってもらった、

フィリピンパブ。

 

しかし、

当時の自分の肌には合わず、

 

嫌な思い出だけが残り、

さらにフィリピーナが嫌いになった。

 

 

それから約6年後…

 

既に、

水商売の世界に足を踏み入れていたが、

 

そこで出会った、

二人のフィリピーナのお陰で、

 

自分勝手な

「フィリピーナに対する偏見」

が消えていった。

 

 

いや、

それだけに収まらず、

 

「もっとフィリピーナと仲良くなりたい!」

 

そんな想いから、

 

市内でも、

『トップクラス』の人気店でもあり、

 

また、

スタッフには厳しい…

 

と評判だったお店に、

決意を固め、移ったのである。

 

 

当時はまだ、

 

調理師として活躍したい!

 

という強い想いから、

調理師学校の夜間部に通っていた。

 

 

その為、

正社員ではなく、

 

夜10時過ぎから、

朝4時の閉店までの、

 

アルバイトとして働き始めた。

 

誰だ、誰だ、誰だ?!

 

働き始めてしばらくした、

ある日のこと─

 

 

閉店時間も近づいてきた、

午前3時ころ、

 

お店の入り口の横のカウンターで、

店長と時々笑いながら話している、

男性の姿が目に入った…。

 

 

「ワッハハハ…」

豪快な大きい笑い声は、

 

存在感が際立っていた。

 

 

また、あの人だ…

 

店長と笑いながら話している様子から、

かなり親しい間柄なのだろう。

 

 

しかし、

どうもお客さんではない。

 

 

毎日のように見かけるけど、

一体誰なんだ?!

 

 

背丈は自分と大して変わらない。

 

しかし、

がっしりとした体格、

緩めのパーマをかけたヘアスタイル、

 

 

顔つきは、

 

眉毛が太く、

髭も剃り跡が濃い…

 

 

そう、

まるで…

 

 

何かのTV番組で見たことがある、

 

長嶋茂雄の選手時代にソックリ!!

 

の顔つきだ。

 

 

しかも、

 

物腰や、

醸し出す雰囲気から、

 

 

ただ者ではないな…

 

 

それだけは、

はっきり伝わってきた。

 

 

と、その時─

 

「松田~、コッチに来てくれ!」

と、店長から呼ばれた。

 

 

一体、何だ?!

 

そう思いながら、

 

店長と、

 

『独特の雰囲気』を漂わせている、

その男性の立っているところへ、

 

少し緊張しなから、

足早に向かう─

 

ノラ!!

我が家の庭先に…

結婚して1年が過ぎた頃、

我が家の庭先に野良猫が住み着いた。

 

白黒模様の、メス猫だった。

 

 

そんなある秋の日、

 

食べ物を食べていないとみえ、

すっかり弱って動けなくなってしまった。

 

 

「アサワ、

プサ(タガログ語で猫)、カワイソウ…。

アコ、食べ物アゲルイイデショ?!」

と妻。

 

猫は嫌いじゃないが、

一度に何匹も産むので、アッという間に増えてしまう。

 

 

猫屋敷にでもなったら大変だ…

 

そう思い、

 

心を鬼にして、

「ダメ!!」と妻には一言。

 

 

 

が、しかし。

 

私には内緒で、

妻は猫に食べ物を少しずつ、与えていた…。

 

 

 

その結果…

 

 

翌年の春、

 

可愛らしい赤ちゃん猫を、

5匹も産んだのだった。

 

賑やかな猫屋敷?!

初めは母猫の後ろに隠れ、

おっかなびっくりで、

こちらを伺っていた赤ちゃんネコだったが、

 

動き回れるまでになり、

徐々に慣れてくると、

 

食べ物をあげれば、

私たちの目の前で、

喜んで食べるようになった。

 

 

 

子猫たちは、

ミャーミャーと可愛らしい声で鳴き、

 

我が家の庭先は、

俄然にぎやかになった。

 

 

 

とは言え、

子ネコが全て大人になる訳でなく、

 

 

生命力が弱く、

途中で亡くなってしまったり、

 

いつの間にかいなくなったりで、

 

 

1~2匹残ればいいほうだ。

 

 

しかし、

 

残ったうちのメス猫が、

必ず翌年には妊娠、

5匹くらいは赤ちゃん猫を出産した。

 

 

 

そんな感じで、

 

最初に我が家の庭先に住み着いた、

白黒の猫から始まり、

 

 

数年間は、

我が家の庭先から、

 

猫の鳴き声が絶えることがなかった。

 

 

 

 

そんな、

ネコハウスともいえる我が家に、

 

 

仔犬がやって来ることになった…

 


Anak!!!

 

 

フィリピン人は、凄い…!!

さて…

 

世の中には様々な分野で、他人より能力が抜きん出ていて、その実力をいかんなく発揮する人がいる。

 

いや、

能力は平凡でも、努力でその分野のトップになる…と言ったほうがいいかもしれない。

 

外国語を現地の人のように、流暢に話すなどは、その典型かもしれない。

 

 

 

日本人は、

中学、高校と6年間も英語を勉強するのに、

英語が喋れない…

これは、今や世界では、よく知られているらしい。

 

 

そんな日本人の中にも、

英語をネイティブ並みに流暢に話せる人は、

一定数は存在する。

 

しかも、

海外留学することもなく、独学で英語を身に付けた、

そんな強者の日本人もいる。

 

 

 

 

一方、フィリピン人はというと…

 

 

母国語のタガログ語、

第2言語とも言える英語を話し、

 

さらに、

日本人の旦那さんと結婚して、日本に暮らしているフィリピーナは、日本語も話せる…。

 

いやはや、

フィリピン人の、言語習得能力の高さには、全く驚かされる。

 

 

そんなフィリピン女性と国際結婚した私は、

すっかりフィリピンの魅力の虜になり、

タガログ語にも興味があるが、

 

中でも、

OPMと呼ばれる、タガログソングに非常に興味がそそられるのである。

 

 

哀愁漂うメロディ…?!

初めて聴いたタガログソング(OPM)が、

そんな哀愁を帯びた曲だったのかもしれない…

 

どの曲を一番最初に聴いたのかは、はっきり覚えてはいない。

 

が、Anak という曲が、

私が小学校だった頃に、

加藤登紀子や杉田二郎などが、日本語でカバーして歌っていたと記憶している。

おそらく、

私が最も遠い昔に、初めて聴いたフィリピンの曲に違いない。

 

anakとは、息子という意味である。

 

 

息子を思う両親の気持ちを歌い上げた曲だが、

メロディも歌詞も、

何とも物悲しいのである…。

私が知る限り、

最も物悲しい、涙を誘うOPMだろう。

 

 

 

日本語訳の歌詞にすると、さらに悲しみが増してくる。

 

 

生まれた時は皆から祝福され、

お前の為に、母さんはミルクを嬉しそうに準備したものだ…

 

あんなに可愛かったお前は、

思春期になると、親に反抗し、

自由になりたい!!と言い出し、

私たちを困らせた…

 

 

そして、

お前は家を出ていき、

今はどこで何をしているのか?!

 

私も母さんも、とても心配している…

 

 

 

 

ざっくり言うと、こんな感じになるのだが…

 

 

涙なしでは、聴くことが出来ない曲です。

 

アサワ マハル

 

年増?!のフィリピーナと…

20代後半の頃、

以前から興味のあった水商売の世界に、勇気を出して足を踏み入れた。

 

キャバ嬢やホストなどに代表されるように、華やかなイメージがある一方で、

 

 

 

その筋の方々との付き合いや、

様々なトラフルなど、ダークな面と背中合わせな世界だ。

 

 

水商売に入った最初のお店のオーナーもそんな感じであり、

 

 

 

″やはり、この世界は危険が一杯だ…″

 

そう思ったものである。

 

 

 

だが、

 

 

そのオーナーのお店で働いていた、

年増のフィリピーナと出会った事が、私をフィリピンの魅力の虜にさせることになろうとは…。

 

 

そう、

 

そのお店を辞め、同じ市内にあるフィリピンパブで働き出したのである。

 

 

ピン中の世界へようこそ!!

二十歳の時、

先輩に連れられ初めて入ったフィリピンパブ。 

 

 

 

ファーストタイムの女の子が付き、日本語がほとんど通じなかった為、

 

 

全然面白くない!!

 

 

フィリピンパブはつまらん!

 

 

と、それ以降近付くこともなかった。

 

フィリピンそのものにも、良いイメージが持てなかった…

 

 

そう、好きでなかった…

 

 

 

そんなはずだったのが…

 

 

 

 

 

あまりにも陽気なフィリピーナの存在が、

 

フィリピン嫌いだったはずの私を、

フィリピン好きに変えてしまったのである!

 

 

アコ、イカウ、などの簡単なタガログ語を、お店のタレントの女の子との会話にも使うようになり、

 

 

 

そして、

 

タガログソングのカセットテープやCDを聴くようになったり、

 

お店の近くにある、

フィリピンレストランへも行ったり、

 

 

 

 

すっかりピン中の仲間入り…

 

 

 

この世界にハマったら最後、

 

脱け出すのは不可能に近い…だろう。

 

 

 

夢はフィリピン移住!

働いていたフィリピンパブで知り合ったフィリピーナを好きになり、

 

 

望んでいた彼女との結婚も出来た。

 

 

 

二人で何度もフィリピンへ帰り、

その度に、楽しい思い出がたくさん。

 

 

 

タガログ語の上達はイマイチだが、

カラオケでのタガログソングのレパートリーは増えていった。

 

 

 

 

 

 

将来は、妻と二人でフィリピンに住みたい!!

 

 

 

 

フィリピーナと結婚した日本人男性なら、

誰もが一度はそう思うはず。

 

 

さようならフィリピン?!

 

最近は、

フィリピンに行く日本人が多くなった。

 

 

 

フィリピンへの英語留学がブームになっているのがあるだろう。

 

セブをはじめとした、

フィリピンの島々へ芸能人が行く様子がTVで放送されたり、

 

 

 

 

Twitter、Facebookなどでも、

フィリピンの観光地や食べ物の話で賑わっている。

 

 

 

 

 

それはそれでいいのだろうが、

 

 

 

 

 

「何か、オレの求めているフィリピンとは違うんだよねぇ…」

 

 

というのが、

 

最近の日本人のフィリピンブームに対する、

ワタシの正直な心情である。

 

 

 

 

 

 

妻と二人で、仲良くフィリピンで暮らせるだけで幸せ…

 

 

 

そんな気持ちなので、

 

 

 

もし、

 

 

 

 

もし妻と死に別れることがあったり、

 

妻と完全に縁が切れたりしたら…

 

 

 

 

 

私にとっては、

フィリピンは何の意味もない。

 

 

 

興味を無くすかもしれない。

 

 

 

 

私にとってのフィリピンとは、

好きで結婚した妻そのものであり、

 

 

 

妻の存在そのものが、私にとってフィリピンの全てであるから…。

 

 

 

アサワ、これナニ?!

フィリピーナは…

フィリピーナはいつも陽気で明るい、

フィリピーナはユーモアがあって、

ジョークが好き、

フィリピーナは働き者、

 

 

そして…

 

 

 

 

 

そしてフィリピーナは、嫉妬深い…

 

 

 

結婚前から、そんなフィリピーナの特徴は心得ていたはずだった。

 

フィリピンパブで仕事をしていたおかげで、

フィリピーナの彼女たちの表と裏を毎日見て、全てわかったつもりでいた。

 

 

 

 

が、

 

 

本当にフィリピーナの嫉妬深さを思い知ったのは、

彼女と結婚し、一緒に住み始めてからだった。

 

一枚の写真が…

結婚して一緒に生活を始めたとはいえ、

旦那である私のことを、まだ彼女は詳しくは知らない。

 

どんな幼少期を送ったのか?

どんな学生時代だったのか?

初恋は、どんな女の子だったのか?

どんな仕事をしてきたのか?

 

 

もう、ことある毎に質問の連続。

 

 

目の前にいる、日本人の夫がどんな人生を送ってきたのか?!

興味津々のようであった。

 

 

これが逆だとしても、

 

彼女に対して、私からも質問の雨アラレで、

彼女の「これまでの生きざま」

を知ろうとするだろう…。

 

 

 

実際、

 

結婚の為にフィリピンへ行った時は、

彼女の幼少期の写真などをたくさん見せてもらったり、

彼女からも、当時のいろいろな話を聞いたりもした。

 

 

だから、

彼女から昔のことを聞かれたら、

きちんと答えていた。

 

 

が…

 

 

さすがに面倒くさく感じ、

昔の写真が収められているアルバムを見せることにした。

 

まだ3歳くらいの幼少の頃の写真から、

小学校、中学、高校…

 

そして、

社会人になってからの写真の数々が、

そこには何枚もあり、

彼女は、目を輝かせてアルバムに見入っていた。

 

 

と、一枚の写真に

彼女の視線が留まり、一言。

 

 

 

「アサワ、これナニ?!」

 

そして、破り捨てられた!!

 

それは、

 

まだ22歳頃の自分が、

当時付き合っていた彼女の肩を抱き寄せ、

二人で笑顔で収まっていた写真だった。

 

 

とっくの昔に別れた、当時の彼女。

 

それでも、

何となく写真を捨てられず、そのままにしておいてしまい、

以後、

捨てるタイミングを完全に逸してしまった、いわくつきの写真。

 

 

″ウワッ!!…

これ、完全にアウトだよなぁ?!″

 

内心、ビクついた…。

 

「昔のカノジョの写真があるのは、

まだ忘れられないだからデショ?!」

 

彼女の言葉が、まるで尋問のように感じる。

 

 

「もう、昔に別れた女の子だよ?!」

 

と言っても、全く聞く耳を持たない妻。

 

さらに、

「ホントは、まだカノジョ好きナンジャナイ?!」

 

の一言。

 

 

この場面では、

余計な言い訳は、彼女の怒りという火に油を注ぐだけだ。

ここは、潔く、自分の過ちを認めるのみ。

それ以上、一切反論しないでいたのだが…。

 

 

 

 

「もう、イカウはワタシという奥サンがいるんダカラ…」

 

と言いながら、

その写真をビリビリと音を立てて細かく破り、ゴミ箱に捨てたのだった…。

 

 

「…!!」

 

 

憐れ…

 

 

捨てられずにいた過去の思い出は、

妻によって、いとも簡単に捨て去られたのである。

 

 

フィリピーナは、ここまで嫉妬深きものなのか?!

 

そう再認識するのには、

十分すぎる出来事であった。

 

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執筆者プロフィール
松田ミキオ (まつだ みきお)
フィリピンに全く興味が無かった男が、まるで運命に導かれるようにフィリピーナに恋をして、31歳で国際結婚。周囲の好奇の目をよそに、結婚歴18年が経過中。詳しいプロフィールはこちら
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