ココも見る?!

18歳で選んだ道

 

刺激を求めて

 

黒いセーラー服に身を包み、水兵帽を被り緊張しながら入隊式に臨んでいる自分は、明日から始まる猛訓練に思いをはせていた…。

 

 

いい高校、いい大学を出て、いい会社に入り、可愛い女性と結婚する。そこそこ出世して、子供にも恵まれ、平凡でも幸せな人生を歩む…。

そんな人生がこれから待っているなんて、考えたくもなかった。

 

若いというのは、それだけで人生の特権だ。

何でも出来る!という希望にあふれ、血潮が燃えたぎっている。

 

 

 

高校3年生になり、進路を考え始めた時、親が言うような「いい大学を出て安定した会社に入る」という、ありきたりな選択はしたくなかった。

親に対する反抗心もあったかもしれない。

 

平凡でない、刺激に満ちた人生を生きたい!!

 

 

 

 

そして選んだのは…海上自衛隊。

 

 

この日本において、過酷な職業の一つであるが、昭和60年代はまだ反自衛隊感情が世間に強く残っており、自衛隊志願者は特異な目で見られた。

 

実際、志願者の中には暴走族あがり、ヤンキーあがりみたいな金髪やソリ込みを入れた者もいて、人員確保は受難な時代だった。

 

それでも、海上自衛隊の夏服の白い制服に凛々しさを感じていたというのもあって、入隊を決意した。

 

また、厳しくも男らしさに溢れている、そんな環境で強い人間になりたかった。

 

 

 

ここは…海軍だ!

 

訓練は、キツかった。

基本動作訓練に始まり、小銃射撃、カッター訓練、体力錬成、ロープの結索術や手旗信号の習得、そして水泳訓練…。

 

 

カッター訓練では尻の皮が破れ、血が出て、普段歩くのも辛くなる経験もした。

 

体力錬成はひたすら走る。

 

 

しかし、カナヅチなのに海上自衛隊に入隊という無謀な選択をした自分にとって、特に毎日ある水泳訓練はどの訓練よりも憂うつであり、苦痛でもあった。

 

そして、同期生も目をむくほど、教官にシゴカレまくった。

罵声を浴びせられながらも、負けるものか!!と食らいついていった。

 

 

 

その甲斐あって、5か月後には3マイル(約6km)泳げるまでに成長し、海上自衛隊で何とかやっていけるかもしれない…そんな希望が見えた気がした…。

 

 

 

挫折は突然やって来た…

 

そして、教育期間が終わり、憧れていた護衛艦勤務になったが、ここで生来の弱気な性格が顔を出してしまう…。

 

 

勤務2日目から出港、洋上訓練が始まったが、船酔いに悩まされる日々となる。

1日中激しい頭痛、吐き気が治まらない。訓練を終え、港に帰ると船酔いは治まるが、出港するとまた船酔いが始まる…その繰り返し。

 

 

 

スマートで目先が利いて几帳面 負けじ魂 これぞ舟乗り

 

 

そんな凛々しい男を目指していたはずなのに、とんだヘタレ男の醜態を周囲にさらけ出していた毎日だった。

 

そのような状態が1ヶ月ほど続き、すっかり気持ちが萎えてしまった…。

 

 

 

 

もう、辞めたい!!

 

 

 

入隊から7ヶ月…あっさりと除隊…。

 

 

とにかく2年間!

 

海上自衛隊をあっさりと除隊し、故郷に帰った自分を待っていたのは、後悔の日々だった。

 

 

なぜ、我慢できなかったのか?

なぜ、もっと頑張れなかったのか?

 

 

そんな自問自答を繰り返し、情けなさに自己嫌悪に陥った…。

 

親からは何も言われなかったのが、余計に辛かった。

 

 

 

 

平凡でない、刺激に満ちた人生を生きたい!!と大風呂敷を広げた結果がこれか?!

 

 

 

初心

 

もう一度、自衛隊で頑張りたい!!

 

 

そして、19歳の初夏…

 

今度は必ず1任期を全うする!と決意を胸に、陸上自衛隊に入隊。

 

 

入隊式翌日から、厳しい訓練が始まった!

 

小銃訓練(分解、結合)、実弾射撃、体力錬成。

 

匍匐(ほふく)前進で汗と泥にまみれる戦闘訓練。

 

背のうを背負い、小銃を携行して真夏の演習場での行進訓練…。

 

 

 

 

苦しいが海上自衛隊とはまた違う新鮮さがあり、日々の訓練に追われながらも、充実した毎日が続いた。

 

 

自分を試したい!と空挺部隊を志願したが、これは身体検査で不合格。

 

 

ならば普通科部隊(歩兵部隊)へ行こう!

あそこなら、やり甲斐がありそうだ…と志願し、某普通科連隊に配属された。

 

 

 

訓練以外では…

 

以後、同連隊で積雪地演習、富士山麓での訓練、北海道への機動訓練参加など、様々な訓練に明け暮れた。

 

 

毎日が充実していて、自衛隊に入隊して良かった!と思った。

しかも、時代は空前のバブル景気の真っ只中。

 

 

 

毎週末には仲間と外出して飲んだくれて、貰った給料をほとんど使ってしまうという、訓練以外では滅茶苦茶な生活を送っていた。

 

 

 

そんな毎日が、楽しくて仕方なかった。

 

 

こんな日々が永遠に続いてくれたら…

 

 

 

 

もう十分?

 

試験に合格して陸曹になり、53歳の定年まで勤務するという道もあったが、50代で再就職するくらいなら、20代の今のうちに娑婆に出て働いたほうがいい…。

 

 

 

自衛隊に未練がなかったといえば噓になるが、もう十分、という気持ちも強かった。

 

 

いろいろあったが、結局2任期4年での満期除隊を許され、陸上自衛隊を去ることに…。

 

 

 

多くの仲間、先輩方に会い、迷惑をかけてしまった事もあったが、それ以上に学んだ事は多く、濃密な4年間だった。

 

 

 

妻との出会いへ繋がる道

 

 

社会に出たものの…

陸上自衛隊を除隊した後、初めて一般社会人としての生活を経験。

 

 

しかし、早々と転職を経験してしまうことに…。

 

 

最初の職場は、仕事も人間関係もそれなりに順調だったが、1年も過ぎた頃には、何か物足りなく思うようになり、結局2年ほどで退職…。

 

次の職場は、人間関係が最悪!!だった。

1人の先輩は、自分を目の敵のようにしていた。十二指腸潰瘍になったこともあり、退職。

 

 

 

根気がないのか、それとも慣れてくると物足りなさを感じるのか…多分、両方だろう。

 

 

 

 

 

このまま転職を繰り返していたら、社会不適格者になってしまう!

 

さすがに将来が心配になり、手に職をつけよう…と調理師学校の夜間部に入学、昼は飲食店でアルバイトを始めた。

 

 

今思えば、料理を作るのが好きという訳でもないのに、なぜ調理師を目指したのか?

自分でも不思議だが、その時は、真剣に将来を考えたのだろう。

 

 

 

料理人は、職人気質が強く残る世界だ。

 

 

長く厳しい下積みを数年経験して、やっと一人前になっていく。当然、先輩からは厳しい指導があり、怒鳴られることもある。

 

当時、アルバイトしていた寿司店(回転寿司ではない)で、普段から口うるさかった先輩に対し、我慢できずに言い返したところ、他の先輩全員からも『お前、その口の聞き方はなんだ?』と攻撃(口撃?)された。

 

その後、先輩たちと仲直りはしたが、この一件以来、職人気質のある料理人は性格的にも合わない、と悟った…。

 

 

 

ついに決断!

だが、せっかく目指した調理師を諦めたくはなかった。

そこで考えた…

 

何も料理店で仕事するばかりが調理師じゃない…スナックやパブの厨房で働けばいいじゃないか!

 

 

 

そして、水商売の世界に足を踏み入れた!!

 

 

最初に仕事をしたパブに、日本語を話せる30代のフィリピーナのホステスが2人いた。

1人はとにかく陽気でよく喋り、よく笑う。

毎日彼女らと接するうちに、フィリピン人は何て陽気なんだろう…と思った。

 

彼女らの送迎も担当するようになると、自然に話す機会も増え、彼女らといる時は癒しすら感じるようになった。

 

 

 

 

フィリピーナは好きでなかったはずが、こんな陽気な彼女たちなら、ずっと接していたい!!と思うほど、180度の心境の変化だった。

 

これが、フィリピーナの持つ魅力、魔力に完全に虜にされた瞬間だったかもしれない…。

 

 

 

ほどなくして…。

 

同じ市内のフィリピンパブで、厨房スタッフとして働き始めていた…。

 

 

 

 

 

極真カラテ

 

 

昇級審査

「シュッ、シュッ!!」

道着の擦れる音だけが、緊張感溢れる静かな道場内に響く。

 

 

奥には、師範をはじめ、審査員である黒帯の壮々たる先輩たちの厳しい目が光っている…。

 

 

 

張り詰めた空気の中、昇級審査を受審する道場生は子供から大人まで皆、真剣な表情で臨んでいる。

その姿は、基本、移動、型の与えられた課題に加え、まるで緊張感という見えない敵とも戦っているようでもある。

 

からっ風に落ち葉が舞い始めた、11月のとある日の新極真会某道場。

 

自分にとって久しぶりの昇級審査が始まった…。

 

 

 

 

 

実は、20代の頃、1年ほど極真カラテに通っていたことがある。

しかし、職場の人間関係で悩んでいたこともあり、青帯(7~8級)で道場から自然と離れてしまった。

 

 

 

 

15年ほど経ったある日、新聞に載っていたある女性空手家の記事を目にして、再び極真カラテをやりたい!と、40歳で再入門をした。

 

何歳になっても、強さを求める心は衰えないようだ…。

 

 

 

準備運動に始まり、基本、移動、型の稽古と続き、体力錬成を行い、最後は軽めながらスパーリングを5本ほどこなす。

相手によっては、ガチに近いスパーになることもしばしば…。

それが普段の稽古風景だった。

 

稽古が終わり、道場訓を唱和している時、極真カラテが出来て幸せだ!…という、ひと時の清涼感に加え、言葉では表し難い満足感で一杯になり、次も頑張ろう!という気持ちにさせてくれる…。

 

 

 

 

極真カラテには、そんな魅力がある!

 

 

試合にも何度か出場したが、格上の茶帯の人の桁違いの強さに、ローキックを何度も受けた太ももが翌日には紫色になって腫れていて、階段の登り降りに1週間苦しんだこともあった。

 

それでも嫌いにはならなかった…。逆に誇らしかった。

 

 

 

大山倍達総裁がご存命の時から、極真カラテの黒帯は強い男の象徴…と憧れる者は多数おり、自分もそんな1人だった。

 

 

 

いつか、極真の黒帯を締めたい!

当時そう強く思った…。

 

今は様々な団体に分裂してしまった極真カラテだが、『小さな巨人』と呼ばれた元世界チャンピオン、緑健児代表率いる「新極真会」の一員としてカラテができることは、この上ない幸せかもしれない…。

 

 

 

不完全燃焼

まだ道は遠いが、今日の審査でまずは5級になること。

 

 

 

審査の最後は組手。

緊張感もクライマックスだ!

 

 

名前を呼ばれ、試合場内に入り、師範に一礼、相手に一礼。

審判役の黒帯の先輩の「始め!」の声でお互いに戦闘モードに突入、本能でのド突き合いが始まった!!

 

 

 

突いて蹴って、突いて…!!

相手の攻撃を捌き、突き、蹴りを2発、3発返す…

 

 

そんな、頭で考えるように体は動いてはくれない。相手も必死に突き、蹴りを出し、意地と意地のぶつかり合いが続く!!

 

 

道場生からの応援の声が飛ぶ!

 

焦れば焦るほど、自分でも惨めな組手になっていくのがわかる。

 

 

 

とにかく攻撃あるのみ!と前に進むように心掛けたつもりだったが…。

 

 

 

 

2人と組手をしたが、結果は引き分け。勝つことは出来ず終わった…。

 

 

 

不完全燃焼の組手だった。

 

 

 

 

後日、師範から新しい帯が昇級者に渡された。

 

自分は、黄色地に銀線1本の5級になった…。

 

 

先日の審査での組手の内容から、嬉しさは半分くらい。

 

 

もっとしっかり稽古して強くならねば…

師範から新しい帯を受け取りながら、そう気持ちを引き締めずにはいられなかった。

 

 

 

 

PS  現在は、従事している交代制勤務が以前より多忙になってしまい、道場に通うのが困難になり、2014年より休会中…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

執筆者プロフィール
松田ミキオ (まつだ みきお)
フィリピンに全く興味が無かった男が、まるで運命に導かれるようにフィリピーナに恋をして、31歳で国際結婚。周囲の好奇の目をよそに、結婚歴18年が経過中。詳しいプロフィールはこちら
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