南方の人…

 

次はフィリピンで?!

昔、日本人はフィリピンはじめ東南アジアのことを、

「南方」

と呼んでいた。

 

私にも、そんな南方に関するこんなことがあった。

 

 

‥‥

 

 

彼女と結婚の約束を取りつける段階まで、

たどり着くことができた頃のことだ。

 

 

 

「フィリピンでイカウのこと、待ってるよ!!」

 

そう言い残して、

年末の慌ただしい時に、彼女は両親や兄姉の待つフィリピンに帰っていった。

 

 

 

以前、彼女が同じ県内の違うお店を契約満了で帰国した時は、

 

「もう会えないかもしれない…」

 

そんな悲しさがあったが、今回は違う。

 

 

 

 

オレは、彼女と結婚するんだ!!

 

 

彼女の人生を背負っていくんだ‥

 

嬉しさとともに、責任感に思わず拳をグッと握りしめる。

 

 

ともあれ、

年が明けた1月下旬にフィリピンに渡航すると決め、

準備に入った。

 

シャツ1枚にバナナ…

久し振りの海外渡航。

 

本屋でフィリピンに関するガイドブックを買い求め、

マニラ空港で無事に入国審査を通過できるように、

何回も目を通した。

 

フィリピンの成り立ち、気候、国民性などなど、

大体わかっているつもりだったが、

改めてそれらも読んだ。

 

 

 

 

フィリピンはルソン、ビサヤ、ミンダナオ地域に大きく分けられる。

 

日本で例えるなら、

首都マニラがあるルソンは関東、

セブのあるビサヤは関西、

ミンダナオは九州‥

 

といったところだろうか。

あくまでも私の主観だが…

 

 

 

彼女の住む「リザール州」はマニラ首都圏の隣に位置している。

だから、マニラ空港から約2時間もあれば彼女の実家に着く。

 

 

今ならインターネットで地図が見られるから、

すぐにそうわかる。

 

 

だが、1990年代後半はスマホなんかない。

もちろんネットもまだ一般には普及していない。

 

 

なにしろ情報が少ない。

 

 

また、

私の両親は子供時代に戦争体験があったので、

小学生ぐらいから、戦時中の話をよく聞かされた。

 

そんな時に出てくるフィリピンは、

「南方の国」であり、

現地の人はシャツ1枚で一年中過ごし、

お腹が減ったらバナナばかり食べている…

 

という類のものだった。

 

顔にペイントしてダンス?!

またガイドブックには、

 

"フィリピンにも少数民族と呼ばれる人たちがいて、

ルソン、ミンダナオの山岳地帯に暮らしている…"

 

 

というような記述もあった。

 

 

そして、

何かのお祭りだろうか…

 

顔を真っ白にペイントした男たちが、

いくつもの角が出たような被り物を頭にかぶり、

派手な衣装をまとって踊っている様子が、

写真で紹介されている。

 

 

 

これは何かの奇祭か‥?!

 

 

 

彼女の住む地域も、

このような怪しげな祭りをする辺境の地なのだろうか‥‥

 

 

いつかTVで見た、

どこかの原住民が肩を組んで輪になり、奇声をあげている祭りのシーンがよみがえる。

 

 

 

まさか、未開の地じゃあるまいし…

 

 

 

今になれば笑い話だが、

あの時は本気でそんな心配をしていた。

発展途上国という言葉から、

そんな勝手なイメージを抱いていたのだ。

 

 

 

まったく、

私は典型的な日本人のようだ。

フィリピンでも喜ばれる‥

 

 

 

 

 

 

パンシットカントンも美味しいが‥

パンシットカントンという、美味しいヌードルがフィリピンにはある。

 

私も大好きだ。

 

辛さが何種類かに分かれているが、

暑いフィリピンで、

辛さで汗をかきながら食べるパンシットカントンは、また格別の味だ。

 

 

日本にいても、

フィリピンレストランの中にあるサリサリストアで買うことができる。

しかし、

やはりフィリピンで食べるほうが何倍も美味しい。

 

 

 

フィリピン人も日本人同様に、

インスタント食品が大好き。

 

そんなフィリピンに持って行って喜ばれるお土産は、

"カップヌードル"だ。

 

それも、

日清カップヌードル シーフード

 

が一番人気。

 

 

これは、私が妻と結婚する前から変わらない。

20年以上続く、日本からフィリピンへのお土産の定番だ。

 

フィリピンパブのタレントや、在日のフィリピーナたちがフィリピンに帰国する際、

日清カップヌードルのシーフードを2箱~3箱もカートに載せている姿が、

今でも成田空港などで見られたりする。

(1箱20個入りだが、家族や親戚の人たちに配るから、あっという間に無くなってしまう…)

 

 

だから、

カップヌードルの箱が載せてあるカートを、

日本人男性が1人で押している姿を成田空港で見かけると、

 

ははぁ~、あの人はフィリピンに行くんだな…

 

などと、渡航先の予想ができたりした。

そして、

その予想は100%に近い的中率。

 

 

私もフィリピン初訪問の時、

彼女(妻)のお願いで、お土産に日清シーフードヌードルを2箱持って行ったが、

恥ずかしい気分だったことを覚えている。

だが、フィリピン航空のカウンターに並ぶと、

3~4箱もカップヌードルをお土産にしているフィリピン人、日本人が何人もいるではないか!

 

 

フィリピンの人たちは、本当にカップヌードルが好きなんだな~

 

 

シーフードがいい!

ちなみに…

 

 

なぜ日清シーフードヌードルがいいのか?!

 

 

妻に聞いたら、

 

Γオイシイから‥」

 

 

 

と一言。

 

カレーや醤油味でなく、

シーフードじゃないとダメ、だという。

 

 

フィリピンでも日清シーフードヌードルは売られている。

しかも、日本よりサイズが少し大きい。

 

それでも、日本のカップヌードルの方が美味しいという。

 

 

だから、

今でも日清シーフードヌードルをお土産に持っていくと、

現地では喜ばれる。

 

 

日本人もカップヌードルが好きだが、

フィリピンの人たちも、同じくらいカップヌードルが好き。

 

 

 

美味しいものは、国境を越えてもオイシイのである。

 

 

私は"ピン中"…?!

 

隠されていた心?!

閉店準備をしていた私は、突然店長に呼ばれた。

 

急いでカウンターに向かうと、

店長の隣には、最近いつも見かけていた、

"あの人"が笑いながらこちらを見ていた。

 

 

すると、"あの人"が、

 

「おぉ、松田…お前、ピン中か?!」

 

と、突然話を始めた。

 

 

 

「…はい?!」

 

 

ピン中…って何だ?!

 

 

 

意味がわからず、答えに困ってしまった。

 

 

 

ちなみに

ピン中とは…

フィリピンパブにハマった人、フィリピーナが好き、フィリピンが好き。

タガログ語にも興味を持ち、カタコトでタレントの女の子に話しかけたり、タガログソングを歌ったりする。

 

というような人のことをいう。フィリピン中毒の略。

 

 

 

 

何か仕事で失敗したのだろうか?

 

 

 

そんなことを考えながら、

いろいろなことを思い出していると、あることに思い当たった。

 

 

 

待てよ、

そういえば…

 

 

 

実は数日前、

「男性スタッフが足りないから、

系列店である日本人の女の子のお店に、何日かヘルプに行ってくれないか?」

 

という話が店長からあったのだが、

 

 

「このお店で働かせてください!!」

 

と、逆にお願いしていたのである。

 

 

 

そんなことを思い出した私の顔を見ながら、

 

「松田、フィリピンが好きか?!」

 

"あの人"は、笑いながら尋ねた。

 

 

「はい、フィリピンが好きです!」

 

 

思わず、私はそう答えてしまった!!

 

 

豪快な男

「そうか、ワッハハハハ!!

 

お前はこの店で仕事しろ。

 

松田さんはピン中か…ワッハハハハ!」

 

 

 

なんと…

目の前にいるこの男性が、

 

私の勤めるお店を含めた、

グループ会社の「社長」だというではないか。

 

 

 

アルバイトで採用された時の面接は店長がしたので、

まだ社長には会ったことがなかったのだ!!

 

 

 

 

この人が社長…

 

 

 

笑ってはいるが、

鋭い眼差し、がっしりした体つきは近寄り難さすら感じる。

 

そして…

 

全身からは何とも尋常でないオーラが出ている。

 

 

水商売のプロ…

まさしく、『夜の世界に生きる男』だ。

 

 

 

仕事には厳しい人…

 

そんな噂は聞いていたが、

社長の厳しさを私が本当に知るのは、

まだまだ先のことになる。

 

 

ともあれ私はこの日、

初めて会った社長の眩しさ、男らしさに、

憧れを抱いた。

 

カッコいい?!

 

 

フィリピーナが好きな男性のタイプ?!

 

今から話すことは、現在はそうではないかもしれない。

 

だが、

 

これは私がフィリピーナの妻と出会った当時、

フィリピンパブ界隈でまことしやかに広がっていて、

多くの日本人に信じられていた。

 

また、

実際に事実であった話だ。

 

 

 

それは…

 

 

 

 

 

 

フィリピンの女の子が好きなタイプは…

 

 

 

 

太っている男性!!

 

だというのである。

 

 

 

 

マジですか?!

 

 

日本人の感覚からすれば、

 

太っている=だらしない、健康管理ができていない、

と捉えられ、

 

柔道のチャンピオンやプロレスラー、ボディービルダー、

相撲の横綱、大関などでもない限り、

 

『ただの太った人』だ。

 

尊敬の眼差しを向けられることも、ないだろう。

 

 

 

だが、

 

フィリピーナは、太った男性がタイプだという。

 

 

なぜ?!

 

 

太った男性は○○?!

フィリピーナが太った男性が好きな理由、

それは‥

 

 

お金をいっぱい持っているから!!

 

らしい…

 

 

 

フィリピンパブに来るお客さんは、

会社の社長さんとか、重役さんとか、

 

確かにお金を持っている人が多い。

そして、

それらの人たちは貫禄があるし、

太っている割合が高い。

 

 

 

なるほど…

 

 

 

シャチョーさん+太っている男性=お金持ち!!

 

 

タレントの女の子たちには、

そんな図式が成り立っているようだ。

 

 

 

そして、

フィリピンパブのタレントの女の子だけでなく、

 

 

どうやらフィリピンの人たちの多くが、

 

 

太った男性=お金持ち

と思っているらしい。

 

 

 

 

私が妻と結婚した当時、

フィリピン大統領は元俳優でもあった、

恰幅のいいエストラーダ氏だった。

 

皆から「エラップ」と親しみを持って呼ばれていたが、

 

太っているということは、

フィリピンでは悪い印象はあまり持たれないようだ。

 

 

 

健康志向‥

フィリピンは貧しい国‥

 

 

折に触れてそう言われるが、

 

その割には男女問わず、

太っているフィリピン人は意外に多い。

 

 

 

確かに、

やせ細っていると貧弱に見えるが、

 

太っていると頼もしいし、

妙な安心感もあるかもしれない。

 

 

 

先のことも大切だが、

今日をどうやって楽しむか?!

 

 

 

そんな楽天的な南国気質。

 

 

経済が発展し、成長中の現在のフィリピン。

健康志向も高まっているようで、

 

太っている男性がいい‥

 

という風潮は、

以前より弱まっているようだ。

 

 

 

パッキャオ~!!

 

フィリピンの英雄

日本人にあまり知られていないが、

フィリピンは、バスケットボールの人気が高い。

 

プロチームがあり、

試合がTV放送され、多くの人が熱狂している。

 

街のあちこちにバスケットボールのコ-トがあり、

大人から子供まで、ボールを追いかけている姿が見られる。

 

 

 

しかし、

そんな国民的スポーツともいうべきバスケ同様、

 

いや…

それ以上と言っていいくらいに、フィリピンの人々が熱狂するものがある。

 

 

それが、

マニー・パッキャオ…

 

 

 

フィリピンが生んだ、世界に誇る英雄だ。

 

ストリートファイター

ボクシング6階級制覇を成し遂げた男として、

今や「伝説」でもあり、

ボクシングファンの間でも人気があるパッキャオ。

 

 

 

日本でもかつては、

"ハングリースポーツ"ともいわれたボクシング。

 

「あしたのジョ―」のように、

不良でどうしようもなかった若者がボクシングに出会い、

 

富と名誉を手にするため、

成り上がるために、

ストイックにボクシングに打ち込む。

 

 

そして、ついに栄光を手にする‥

 

 

現代の日本人ボクサーは、

アマチュアからボクシングをしてきている選手が多いから、技術的には上手い。

半面、

生活は満たされているから、ハングリー精神が無くなった。

試合が面白くない…という声も耳にする。

 

「拳闘」でなく、スポーツになったのかもしれない。

 

 

 

 

 

だが、

 

フィリピンでは今でも、

貧しさから脱け出す手段として、ボクシングが存在している。

 

ストリートボクシングという名の賭け試合が行われ、

貧困層の少年たちがリングに上がる。

そして、勝った者はお金を手にすることができる。

 

 

 

すべては、貧しさから脱け出すため。

 

 

パッキャオも、かつてはそんな少年だったのだ…

 

 

栄光は色あせない…

そんなパッキャオが、

42歳にしてWBA世界ウエルター級タイトルマッチに臨んだ。

 

一度は引退しながらも、リングに復帰。

 

今回2021年8月22日、2年ぶりに試合を戦った。

 

 

結果は、残念ながら判定負け。

 

 

だが、

この敗戦で彼のこれまでの偉業が否定される…というわけではない。

 

42歳でリングに上がった気力、体力、精神力に、

賞賛の拍手を私は贈りたい。

 

 

 

 

『私はファイター。

だから、諦めない』

 

かつて、そんなことを言っていたパッキャオ。

 

貧しさから脱け出し、

世界チャンピオンにまでなった彼の言葉だからこそ、

説得力がある。

 

 

 

フィリピンと縁を持てたことで、

彼のことを身近に感じ、

そして応援できたことが、

素直に嬉しい。

 

 

私も、まだまだ人生諦めないよ…

ファイターになる。

 

 

ありがとう…My hero!!

 

 

 

サンパギータの花

 

ロジータの伝説

フィリピンの花というと、「サンパギータ」が有名ですが、
これはジャスミンの一種で、

良い香りがして、可憐な白い花がとても綺麗です。

 

 

マニラ空港を出ると、
サンパギータの花を繋ぎ合わせた首飾りを売っている子供の姿を、
よく見かけたりします。

 

 

 

そんなフィリピンを代表する花ともいえるサンパギータに、
悲しい伝説があることをご存知でしょうか?

 

 


まだスペイン人がフィリピンにやって来る前、
マニラ近郊に、バリンタワクとガガランギンという二つの集落があったそうです。

 

バリンタワクの領主には、ロジータという美しい娘がいて、

多くの若者が言い寄ってきましたが、
誰一人として、ロジータを振り向かせることができませんでした。

 

 

そんなロジータの心を射止めたのは、
ガガランギンの領主の息子である、デルフィンだったのです。

 

二つの集落は隣同士ながら、敵対関係にあり、

二人の親である領主も敵対しています。

 

 

しかし、誰もロジータとデルフィンの愛を止められません。

 

満月の夜に、

二人は集落を隔てている長く続く竹柵の一番端で、

密かに会っていました。

 

 

そんなある日、
バリンタワクの兵士が竹柵を壊してしまったことに端を発し、
ガガランギンとの間に領土紛争の危機が訪れます。

 

両軍がいよいよ戦端を開こうかという寸前、

 

 

ガガランギンの領主が病に倒れ危篤となり、
息子であるデルフィンが、戦の指揮を執ることになりました。

 

 

デルフィンには、戦闘の経験がありません。
そんな彼が戦場に出たら…

 

 

このことを知ったロジータは、
何とか戦いを止めさせようと使者を送ろうとしますが、

その前に戦いが始まってしまいました…。

 

 

 

激しい戦闘が何日も続き、
デルフィンも深い傷を負い、意識が薄れていきます。

 

 

「私が死んだら、ロジータと会っていた場所に埋めてほしい」

そう言い残し、彼は息を引き取ります。

 

 

 

そして、それを知ったロジータも、
失意のうちに病に倒れます。

 

何人もの医者が呼ばれましたが、

恋人デルフィンを失い、

悲しみに打ちひしがれたロジータを救うことはできず、

 

「私が死んだら、竹柵の外れに眠るデルフィンの横に埋めてほしい」
父にそう伝え、彼女は亡くなりました。

 

 

Sumpa kita!

それから長い年月が経ち、二つの集落も無くなり、

人々の記憶からも消えていきました。

 

 

そしてスペイン人がやって来てマニラの街を作り、
ガガランギンとバリンタワクのあった場所にも、人が住むようになりました。

 

 

しばらくすると、
二つの集落のあった場所に住むようになった人々から、

奇妙な噂が伝わるようになったのです。

 

 

 

毎年五月の満月の夜になると、若い女性の
「Sumpa kita!Sumpa kita!」(私は誓います!私は誓います!)
という可憐な声が聞こえてくる、と…。

 

しかし、声のする場所には白い花が咲いているだけ。

 

 

 

不思議に思った人々が、恐る恐るそこを掘り返してみると、

 

寄り添うようにして埋められた二つの亡骸が現れ、
白い花の根の先が、
二つの亡骸の口まで繋がっていたという。

 

 

 

それを見た長老が思い出したのです…

 

かつてこの地で、

デルフィンとロジータの悲しい愛の物語があったことを。

 

 

 

 

この話は瞬く間にフィリピン中に伝わり、

ロジータが白い花を通してデルフィンに伝えた
「Sumpa kita」という言葉は、

二人の永遠の愛を象徴する白い花の名前となったのです。

 

 

『Sumpagita (永遠の愛を誓う)』

 

 

 

 

この話を聴いた時、
私は涙が出てしまいました。

それと同時に、
サンパギータの花にまつわる伝説を今も大切にするフィリピンのことが、

今まで以上に好きになりました。

 

 

 

フィリピン人は、ロマンチストですね。

 

 

 

 

※なお、今回のこのお話は、
佐賀唯一のタイ式整体屋さんのブログから引用させて頂きました。
ありがとうございます

 

大家族がイイ?!

 

子供は5人

「日本人の配偶者等としての在留資格」

を得た妻を、

フィリピンに迎えに行ったその帰り、

つまり二人で日本に入国する日の朝に妻が大泣きしたのと同じ日、

 

マニラ空港に向かう途中か、

飛行機の中だったかの覚えがあやふやなのだが、彼女が突然、

 

 

 

「アサワコ、2人の子供、5人ね!!

アコ、子供大好きダカラ…」

 

といきなり言い出したのである!

 

 

彼女自身、7人兄弟姉の末っ子ということで、

やはり、家族は多いほうが良いということを、

幼い頃から感じていたのだろう…。

 

 

しかし、

 

 

 

 

今の日本で、子供が5人もいる家庭は珍しい。

それこそ、大家族としてTVに出られそうである。

 

「アサワ~、ワカッタ?!ハ!」

 

そう畳み掛けてくる彼女。

 

 

『子供5人もいたら、学校に通うようになったら一体どれくらいお金がかかるんだ?!』

 

 

 

そんな稼ぎが、この俺に出来るのか…。

 

 

今思えば、

この時の弱気が、その後の波乱万丈の結婚生活を招いてしまったのかもしれない。

 

 

「オォ、ワカッタよ!!」

 

そう答えたものの、仕方なしの返事だった…。

 

 

 

3年目に…

当初は、アパートで2人だけの甘い結婚生活が始まった。

いきなり自分の母親、彼女にとっては姑にあたる人との同居生活は無理だろう…と思ったからだ。

 

日本人同士でさえ、嫁姑の間は良いものではないのに、外国人となると全くどうなるのか予測不能状態。

 

 

それでも、そう遠くない場所に住む姑のところに頻繁に行ってるうちに、かなり打ち解けたらしく、

 

「お母サン、1人で住むカワイソウ。

アコ、一緒に住むヨ…」

 

自分からそう言い出し、2人だけのアパート生活は数ヵ月で終わり、

私、私の母親(姑)、彼女、の3人での生活が始まった。

 

 

 

この時、

自分は何となくまだ、アパートで2人で生活していたほうが良いのでは…?!

 

そう感じていた。

 

 

自分の独立心が、親と一緒に住むことで実家に甘えてしまうのではないか?!

そんな不安が絶対に無い!

と言い切れなかったからなのだが…。

 

 

この時の決断が、その後の結婚生活を決める、

最初のターニングポイントだったかもしれない。

 

 

 

人生に、もし…というのはないが、

この時まだアパートに留まっていれば、全く別の結婚生活になっていたに違いない。

 

 

 

そして、それから3年後のある日…

 

18年が過ぎた今…

 

二人は巡り会う運命だった?!

いわゆる″じゃぱゆき″(今はあまり使われなくなった言葉だが)として、日本にフィリピンパブ嬢の出稼ぎに来ていた一人のフィリピーナとの出会いが、二人の始まりだった。

 

出会ってからしばらくして、

なぜか彼女は私のことを、

「アサワコ~」と呼ぶようになった。

 

 

フィリピーナ特有の大きな瞳がカワイイ、

ロングヘアーの似合う彼女のことは、初めは特別な感情もなかった。

 

しかし、

毎日のように「アサワコ~♪」と彼女から呼ばれているうちに、少しずつ、彼女のことが気になりだし、気がつけば好きになっていた…。

 

 

タレントはお店との6ヶ月の契約で来日する。契約が終了しフィリピンに帰国後も、

同じく6ヶ月が過ぎないと再来日ができない。

 

 

彼女もお店との契約期間の6ヶ月が終わり、フィリピンに帰国。

もう、これで彼女に再会する可能性は、

お店からのリクエスト以外あり得ない。

 

売り上げNo.1、No.2とかのタレントでなかったから、その可能性は少ない。

 

 

もう、会うこともないのか…

 

 

そう諦めかけていた時に、同じ県内のお店に来たという、彼女からの電話。

 

 

 

運命の神は、

再び二人を引き合わせてくれた!!

 

そして半年後…

 

彼女の帰国直前にプロポーズした。

 

 

彼女の涙…

彼女は、私との結婚を決意してくれた。

 

帰国した彼女の後を追うようにフィリピンへ。

 

ご両親への挨拶を済まし、

数ヶ月後、現地で結婚手続き。

日本の役所にも書類を提出し、あとは日本人の配偶者としてのビザが許可されるのを待つだけ。

 

数ヶ月後、ビザが許可され、彼女を迎えに再びフィリピンへ。

 

 

いよいよ日本へ二人で入国する日の朝、

住み慣れたフィリピンの我が家、

ご両親、

兄弟姉妹

との別れに、彼女は大粒の涙を流し、大泣きしたのだった…。

 

その涙を見て、

彼女を大事に守っていかなければ…

そう心に誓った。

 

 

いつも一人でフィリピンを往復していたのが、

彼女と二人での日本入国。

結婚できた喜びとともに、これからの生活への期待感と少しの不安を思ったあの日…。

 

 

 

 

あれから18年が過ぎた。

 

 

決して順風満帆な結婚生活ではなかった。

 

あまりにも色々な出来事がありすぎ、

波乱万丈だったと言える。

 

 

いつしか、彼女がいるのは当たり前のようにさえ感じていた。

決して、ぞんざいな態度を彼女に対し取っていたつもりはない。

 

18年の年月は、いつしか二人の間の空気さえも変えてしまったのだろうか?!

 

 

 

今、

私の隣に彼女はいない…。

 

だが、それは巷でよく聞く離婚の為の別居とか、そんな類いではない。

 

 

ここで言うには、まだ時間がほしい。

いずれ、全てをお話し出来ると思います。

 

 

今、ハッキリと言えることは、

彼女を愛している心は、変わっていない!!

フィリピンのご両親に会う!!

 

彼女が信用できない?!

結婚の申し出をOKしてくれた彼女が、

フィリピンへ帰国してから約3ヶ月後…。

 

ご両親に会わずして結婚する訳にはいかないだろう…

 

 

そんな自然な思いから、

結婚の挨拶を兼ねて、彼女のご両親、兄弟姉妹に会うために初めてフィリピンを訪問した。

 

 

 

実はこの時、

 

フィリピンで彼女の家族に会わないことには、結婚していいものかどうか、

まだ判断が、つきかねていた…。

 

 

日本人がフィリピーナに騙される話しは、それこそイヤになるくらい聞いていたし、

結婚の約束をしたフィリピーナを追って渡比したら、現地には夫、子供がいた…

 

そんな話しは日本では有名だ。

 

 

 

だからこそ、

現地に行って自分の目で確かめたい!

という、気持ちが強かった。

 

 

家族に会ってみて、

騙されてるようなら結婚破棄すればいい…

 

 

 

彼女と早く結婚したい!

そう強く思う毎日だったが、

冷静な気持ちは失ってはいなかったようだ。

 

言葉は通じなくても…

そして、いざフィリピンへ!!

 

初めてのフィリピン、

そして、

久し振りに彼女と会える!

 

 

冷静なようでいて、

やはり、どこか舞い上がっていたようだ。

 

マニラ空港では大変な目に遇ったりもしたが、

http://kawaiitsuma.com/philippine/philippine40.html

 

 

無事に彼女と再会することができ、

いよいよ、彼女のご両親と会うことに…。

 

 

 

優しい笑顔のお母さんと、

褐色の肌で、一見すると強面なお父さん…。

 

ご両親は日本語は全くわからず、

こっちもタガログ語は簡単な挨拶、少しの単語しかわからないため、

 

彼女と、

 

タレントとして来日経験がある、

一番上のお姉さんの二人が通訳となっての、

顔合わせとなった。

 

 

 

お父さんは寡黙な雰囲気があり、

こちらのタガログ語の不自由さもあり、

フィリピン滞在中は、

あまり話しかけることはできなかった…。

 

 

それでも、

家族みんなが何かにつけ、

 

タタイ(タガログ語で、お父さんの意味)、

タタイ、

と言って話しかけ、

 

お父さんも楽しそうに話しているのを見て、

皆から慕われている優しい人柄が伝わってきた。

 

 

ご両親には、彼女がうまく話しをしていてくれた為か、

結婚を反対されるとか、そんなこともなく、

 

また、

 

家族ぐるみで、

こちらを騙そうとしている雰囲気、

(どうやってお金を貢がせようか…?!)

というのも感じられなかったので、

 

 

彼女と結婚しても大丈夫だな…

 

そう確信でき、

結婚する最終的な決断ができた。

 

ダメなら結婚しなくてもイイ…

やはり、

現地に行き、結婚相手のご両親、兄弟姉妹、

その子供たちにも会い、

生活ぶりを見ることは大事だ。

 

 

実際に会い、話しをすることで、

言葉は全てわからずとも、

家族の印象や雰囲気から、直感的に危険な匂いのようなものは感じられるはず。

 

 

騙されてるな…

 

 

そう感じたら、

いくら彼女のことが好きで好きで一緒になりたくても、その結婚は諦めたほうがいいかもしれない。

 

 

これからフィリピーナと結婚する方は、

結婚前に必ず現地を訪れ、

彼女のご両親、兄弟姉妹に会うことを忘れないで下さい。

 

 

 

結婚する、しないは、

その後で最終決断すればいいのですから…。

 

 

「じゃぱゆき」になった理由とは…

フィリピーナは働き者

妻と出会ったのは、

当時勤めていたフィリピンパブ。

 

フィリピンは富裕層と貧困層の格差が激しい。

国民の 1/4 は貧困である…とも言われる。

 

妻も、

「ワタシの家、ビンボーだったから、家族のオカズが魚一匹だけとか、

オカズないときは、ゴハンに塩かけて食べてたよ…」

と言っていた。

 

だが、当時としては平均的なほうだったのかもしれない。

 

 

そして、

それに追い打ちをかけるように、

フィリピンでは、仕事になかなか就けない!

 

 

仕事があっても、サラリーが安い。

 

いい歳の男たちが、仕事がないため、

昼間からタムロしてビールを飲んで笑いながら話している光景は、

 

日本人から見れば、

 

 

なんだかなぁ~

 

 

と言う感じだ。

 

 

しかも、彼らに危機感が感じられないのが、

何ともフィリピンらしいというか…。

 

楽天的、南国気質というところなのだろうか?!

 

 

フィリピン人の男がこんか感じだから、

(全てのフィリピン人の男がこんな状態でないのは、彼らの名誉の為にも強調します!!)

 

 

 

女性が仕事に出るしかない!

 

フィリピンは出稼ぎにより外貨を獲得し、発展してきた国。

 

マレーシア、シンガポール、香港などの他、

アメリカやドバイ、アフリカ…世界中に出稼ぎに出る。

 

女性なら、メイド。

男性なら現場作業などが、主なようだ。

 

 

確かに、

人懐っこくユーモアがあり、コミュニケーション能力にも長けているフィリピン人は、

 

どこに行っても順応し、上手く生活していけるようである。

 

ワタシも日本に行きたい!

フィリピーナというと、やはりフィリピンパブを連想してしまうのだが、

 

妻の一番上のお姉さんは、

タレントとして日本に何度か来た経験がある。

 

 

その為、今でも日本語が出来るので、

フィリピンに行った時は、非常に助かる。

 

 

そんなお姉さんが、

日本で仕事をしたお金をフィリピンに送り、

そのお金で段々とフィリピンの家が大きく、

そして、立派になっていった…らしい。

 

 

 

その様子を子供心に見ていた妻は、

 

 

 

ワタシも日本で仕事をして、

いっぱいお金を稼ぎたい!

 

そう思ったそうである。

 

 

勿論、

両親や兄弟、姉たちの生活を助けたい!!

 

そんな純粋な気持ちが、

日本に行く動機になっただろう。

 

 

 

が…

動機は、もうひとつ。

 

 

お姉さんが日本から帰る度に、

ネックレスや指輪などのアクセサリーをお土産に貰っていて、

 

 

 

もっとアクセサリーが欲しい!

 

 

 

そんな乙女チックな思いが、妻にとっては、

 

「じゃぱゆき」

 

になるのに十分な、

1つの理由になったらしい…。

 

 

 

 

執筆者プロフィール
松田ミキオ (まつだ みきお)
フィリピンに全く興味が無かった男が、まるで運命に導かれるようにフィリピーナに恋をして、31歳で国際結婚。周囲の好奇の目をよそに、結婚歴18年が経過中。詳しいプロフィールはこちら
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