お兄さん kuya

四男三女の一番上

フィリピンも最近は、日本ほどではないが、

核家族化が進んでいるらしい。

 

 

結婚して6~7年目位だったろうか…。

 

妻の実家から少し行くと山間部なのだが、

2DKか3DKくらいの、

小綺麗でカラフルな屋根の可愛いらしい家が、

 

まるで山の斜面を覆いつくすようにビッシリ!!

 

 

と建築されてたのを覚えている。

 

若い夫婦と、子供が2人くらい住むのに丁度いい感じの家だ。

 

 

今は、もっと核家族用の家が増えていることだろう…。

 

 

 

 

フィリピンというと、

ひとつ屋根のしたで、10人くらいの大家族…

 

そんなイメージが強いが、

子供が5~6人というのは、まだまだ多いらしい。

 

 

 

妻は7人兄弟の末っ子だ。

 

四男三女という兄弟姉妹の一番上の

お兄さんは、一目置かれる存在だ。

 

 

フィリピン初訪問でお兄さんのお世話になって以来、自分にとっても頼れる存在だ。

https://kawaiitsuma.com/philippine/philippine.html

 

 

頼れる兄貴!

結婚手続きで、

マニラの日本大使館に行った時も、

 

その後フィリピンに何度か訪れた時も、

 

お兄さんは、必ず空港まで迎えに来てくれる。

日本に帰る時は、空港まで送ってくれる。

 

 

こちらが恐縮してしまうくらい、

気が利いて頭がよく、世話好きだ。

 

 

自分のフィリピン滞在中は、

お兄さんなしでは、何も始まらないかもしれない。

 

 

 

 

そんなお兄さんは、

口髭を生やし、

歌手の堀内孝雄に少し似ているナイスガイ!

 

まさに、頼りになる兄貴だ!

 

 

 

年下の美人の奥さん、二人の子供(一男一女)にも恵まれ、絵にかいたような理想の家族に見える。

 

 

弟たちからすれば、少し怖くもあるが、頼れる存在だろう。

 

 

末っ子だった妻は、

小さい頃から何かにつけ、

お兄さんには可愛いがられたようだ…。

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妻はクリスチャン

日本人は奇妙な民族…

世界には、様々な宗教が信仰されている。

 

キリスト教

仏教

イスラム教

ユダヤ教

 

代表的なのはこんな感じだろう。

 

そして、

それぞれに宗派があり、実に様々だ。

 

 

日本人は、特定の宗教を信仰している人が外国に比べ、極端に少ない。

 

それでも、

初詣、お彼岸、お盆、クリスマス…

仏教、キリスト教、または神道をうまく融合させて、生活に溶け込んでいる。

 

 

こんな国は日本くらいだろう。

 

世界から見れば、

実に奇妙な民族かもしれない…。

 

アジアで唯一

そんな日本と比べ、フィリピンは国民のほとんどがキリスト教を信仰している。

 

 

アジアの島国が何故?

 

これは、フィリピンの悲しい歴史に起因している。

16世紀、マゼランによる世界一周が成功するが、その途中で、セブ島が発見されている。

 

北米にも進出していたスペインにとって、

セブ島は中継地点として重要な位置。

その為、本格的にフィリピンの植民地化に乗り出す。

 

そして、フィリピンはキリスト教を強制させられた…。

 

また、

フィリピンという国名も、

当時のスペイン皇族の名前から名付けられたものだ。

 

 

 

学生時代、

誰もが歴史の授業で習ったことがある、

マゼランの世界一周。

 

コロンブスと共に、

英雄的な扱いで教えられた記憶があるが、

 

当時の西欧による、

世界の植民地化、奴隷化の為の一環に過ぎないのである。

 

 

 

スペインによる植民地化という、苦難な道を歩んできた歴史。

 

陽気で優しいフィリピンの人たちを見ると、

そんな過去が、にわかには信じられない気がしてならないのである…。

 

妻はクリスチャン…

そんなフィリピン生まれの妻は、

もちろんキリスト教を信仰している。

 

いわゆる、クリスチャンだ。

 

日本に住んでいる他のフィリピーナと、

その点は同じだと思う。

 

 

 

が、一つだけ違うのは…

 

 

毎週のように教会へは礼拝に行かない…

ということだろうか。

 

 

フィリピーナというと、

毎週日曜日は教会へ礼拝に出かける…

そんなイメージがある。

 

 

妻も、フィリピンに住んでいた時は、毎週教会へ出かけていたという。

 

日本に住むようになり、

近くに教会が無かったというのもある。

しかし、

どうも妻は、フィリピン人同士の集まりが、

あまり好きではないようだ…。

 

 

「何で他のフィリピン人と仲良くしないの?

友達になればいいのに…」

 

以前、そんなことを妻に聞いてみたら、

 

「他のフィリピン人、ナマイキだから…」

という答えが…。

 

 

 

彼女にとって、

他のフィリピーナの態度は、

何か許せないことがあるのだろう。

 

 

 

信仰は、いつもの心の有り様だ。

教会へ出かけなくても、お祈りは出来る。

 

 

だから、キリストを信じる妻は、

紛れもなくクリスチャンだ。

ケバケバしい怪しさが、いい?!

 

国旗、ヤシの木とビーチ

日本にいながらにしてフィリピンを感じる場所と言えば…

 

真っ先にフィリピンパブを連想する人は多いだろう。

 

実際、

ヤシの木とビーチが描かれたイラストや、

フィリピンの国旗が描かれたうえに、

 

『マニラガール』

 

とか、

 

『サンパギータ』、『ピノイ』

  • サンパギータはフィリピンの国花
  • ピノイはタガログ語で、フィリピン人の意味

 

といった感じの店名が書かれた看板の、

そのケバケバしさは、

 

東南アジアの国・フィリピンをこれでもかと怪しく見せつける…。

 

 

 

そんな怪しさに拒否反応を示す人…

反対に

 

興味をそそられる人…

に別れるのではないだろうか?

 

 

普通の人は、拒否反応を示す場合が多いだろう。

 

しかし、

 

その対極にある、興味をそそられる人…

 

というのが、

フィリピン大好き、いや、

フィリピーナ大好きな、いわゆる『ピン中』の人たちだ…。

 

OPMが大好きな自分も、

もちろん″ピン中″の一人に違いない…。

 

 

そういった方々は、

フィリピンパブはもちろん、

お店の看板のデザインからもフィリピンを感じ、心は瞬時に、

南国フィリピンに飛んでしまうのである…。

 

  • 例に挙げた店名については、他意はありません。
サリサリストア

そういったフィリピンパブの近くに必ずあるのが、

フィリピンフードや雑貨、衣料品、シャンプーや石鹸など日用品を扱う、

 

 

″サリサリストア″

 

 

というフィリピン人御用達の雑貨屋だ。

 

 

食べ物、シャンプーや石鹸、衣料品などはフィリピンから輸入され、

″フィリピンの匂い″で店内は充満している。

 

 

 

そんなサリサリストアにはお客さんとして、

フィリピンパブのお姉さんたちの他に、

 

日本人と結婚しているフィリピン人女性や、

 

どこで仕事をしているのか謎?の、

フィリピン人男性など、

 

どこからともなく集まっきて、

情報交換やコミュニケーションの場として、

 

 

文字どおり、『溜まり場』と化している。

 

 

楽しむことが上手なフィリピン人

『普通の日本人』なら、

まず、そんな場所など近付きもしない。

 

が、

 

ピン中ならば、

そんなサリサリストアに抵抗なく入っていけるのである…。

 

 

窓の外から、

缶詰め食品や、ミサンガや数珠ブレスレット(木製で、小さな十字架があしらわれていたりする)などの雑貨品が見えると、

わくわくしてきてしまう。

 

 

基本的に、

オーナーであるママやマスターは、気さくで優しい人達が多い。

 

 

レストランを併設しているサリサリストアもあり、日曜日などはパーティーが催され、多くのフィリピン人で賑わうことが多い。

 

 

 

そんなパーティーに行くと、

 

フィリピン人は本当に陽気な性格で、

気の利いたジョークで人を笑わせたり、

多勢で楽しむことが好きな国民性だということを、見せつけられる…。

 

 

この空間は、まるでフィリピンだ…

と錯覚するほどだ。

 

 

そして、

楽しむことが上手なフィリピン人を、

日本人である自分は、

少し羨ましく思ったりもするのである…。

 

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おカネになるの?

 

ガンバッて!

以前に、

40歳で空手を再開したこと、

 

試合に出場したりしていたが、仕事の関係や、モチベーションの低下により、

道場から4年以上遠ざかってしまったこと、

を話したと思う。

 

 

空手を嫌いになったわけではなく、

何となく道場に戻りづらくなってしまった…

というのが正直なところかもしれない。

 

 

それでも、

いつかは道場復帰する!

 

その日の為に、

体力錬成を兼ねて走り始めたのが、全ての始まりとなった…。

 

 

 

走るのは嫌いではなかったので、

徐々に練習に没頭するようになった…。

 

 

当時飼っていた愛犬の、

いつもの散歩道から練習コースに走っていく

そんな自分を、

妻は飼い犬の散歩がてら、

 

「アサワ~、ガンバッて!」

などと叫びながら見ている…

そんな感じだった。

 

 

 

アコ、走るの大キライ!

しばらくすると

 

「アコも、走りたい!ダイエットする!」

と言い出すではないか!

 

 

次の日から、

妻はゆっくりペースながら、走り始めた。

 

時間にして15分位だったろうか…。

 

今まで全くジョギングとかしていないのだから、

 

「いつまで続くのかな?」

内心、そう思って心配したが…

 

 

 

4日目から、走らなくなってしまった。

 

 

 

やっぱり、三日坊主ですか…?!

 

その後、

しばらくたってから再び何日か走ったが、

結局、それっきり走ることはなかった…。

 

 

 

 

「最近、何で走らないの?」

 

そう妻に聞くと、

「ダッテ、

 

走ると体がイタくなるから、ヤダ…」

 

という答えが。

 

 

そして、もう一言。

 

「アコ、走るのが一番キライ!」

 

 

それ、おカネになるの?

妻のダイエットジョギングは、

あっけなく終わってしまった…。

 

 

それに対し、

自分のジョギングトレーニング熱は増していった。

 

最初は20分も走れば、

息をハァハァ、ゼェゼェさせていたのが、

30分走れるようになり、

1時間走れるようになっていた。

 

空手復帰のため、だったのが、

純粋に走るためのトレーニングになっていくのだった…。

 

 

そして、

 

マラソン大会に出てみたい!

 

 

そう思うようになっていた。

 

その頃になると、仕事休みの日には、

朝から2時間のジョギングをするなど、

走ることに熱心になっていた。

 

 

「今度、マラソン大会で走ってみるよ!」

 

妻にそう言うと、

 

「それ、おカネになるの?!」

 

と一言。

 

 

走るのが大嫌いな妻からすれば、

 

休日に、

2時間もジョギングする旦那に、

呆れ返っていたのだろう…。

 

『お金も貰えないのに、苦しい思いをして走るなんて、ヘン!!』

妻の正直な気持ちだろう。

 

そして、

「直接お金にはならないけど、走れば気分いいし…」

 

という、こちらの言葉に、

 

 

『お金が貰えるわけでもないのに走るなんて、

リカイデキナイ!』

 

という、妻の顔だった。

 

 

 

お金が関係しないと、

妻はヤル気がでない性格のようだ…。

 

フィリピーナ特有なのだろうか?

 

 

 

それはともかく、

マラソン大会を走った様子は、次の機会に…。

 

 

 

 

いとしのエリー

サザンオールスターズ

タガログ語ミュージック、

別名 Original Philippines Music…略して、OPM。

 

 

かつての日本のヒット曲が、

さまざまなフィリピン人アーティストによってタガログ語で歌われているが、

これも、その一つ。

 

 

いわゆる、JPMと呼ばれている曲だが、

 

原曲はサザンオールスターズが歌った、”いとしのエリー”だ。

 

 

 

ある世代以上なら、ほとんどの人が男女問わず知っている、有名な曲。

 

ネット普及した現在なら、10代や20代の若い世代も聴いたことがあるかもしれない…。

日本の音楽界を代表する曲の一つ、とも言えるだろう。

 

 

この曲は、

自分が小学生高学年の頃に大ヒットしたから、記憶に鮮明に残っている。

 

 

 

その頃のサザンは、まだデビューからあまり間がなく、

 

”イロモノシンガーグループ”

といった感じで、世間からは奇異な目で見られていた。
それが、この”いとしのエリー”の大ヒットで、世間に広く認知された…
と記憶している。
一時期は、カラオケのラブソングの定番だったが、
いい曲だから、今も定番中の定番かもしれない。

 

 

April Boy

この”いとしのエリー”をタガログ語で歌っているのが、

April Boyだ。

 

 

April Boyは、フィリピンでは有名なシンガー。

ヒット曲も多く、確か他にもJPMを歌っているはず…。

 

 

自分がタガログ語やOPMに興味を持ち始めた頃、タガログ語ソングを探すと、

必ずと言っていいほど、彼らの歌声があった。

 

 

 

ジャケット写真に写る、帽子を被った2人に、

 

またか!

 

と思ったほど露出ぶりが多く、人気を誇ったシンガー。

 

 

 

フィリピンで買った彼らのCDは、

今も大事な宝物だ。

 

April Boyの曲は、懐かしい…と同時に、

時々聴いては、いろいろな思い出がよみがえってくる。

 

 

 

 

自分にとってのタガログ語、OPMの原点を作ってくれた存在、

かもしれない…。

現地での結婚手続きは大変だ!

日本で婚姻届を出すだけでいいのか?

日本人同士が結婚する場合、

極端な話、婚姻届を市役所等に提出するだけでもいい。

 

婚姻は、両性の合意によって成立する…

 

 

例えば、

日本にいるフィリピン人女性と結婚するなら、

女性側の出生証明書があれば、申請はできるかもしれない。

(詳しくはわからないが)

 

 

しかし、ビザや在留資格のことを考えれば、

フィリピンで結婚してから、日本の役所に婚姻届を出すのが一般的だし、

後々のことを考えれば間違いない…。

 

 

フィリピン人女性がオーバーステイ状態で結婚生活(正式な結婚とは言えないから、同棲、事実婚のようなもの)

を続けてもメリットは何もないからだ。

 

 

 

自分の場合は、

彼女はフィリピンにいるし、結婚前にご両親に挨拶するのは当たり前だ、

と思っていたので、

 

フィリピンへ行き、現地で結婚してから日本の役所に婚姻届を出す…

 

という道順を踏んだ。

 

 

 

国際結婚はなんて面倒なんだ!

日本人同士なら、婚姻届という紙切れ一枚でも結婚は成立するのに…

 

 

そう考えてしまいそうな状況だが、

 

好きな彼女と、いよいよ結婚できる!

そんな嬉しさのほうが大きくて、

各種の書類を集めるのも、不思議とあまり面倒には感じなかった。

 

 

フィリピンで結婚

現地での手順は次の通り。

 

①在マニラ日本大使館で『婚姻要件具備証明書』を夫となる日本人が申請

 

以下、それぞれの必要書類

 

日本人

  1. 戸籍謄本(3ヶ月以内のもの)
  2. パスポート
  3. 婚姻同意書

フィリピン人

  1. 出生証明書謄本

(ない場合は、出生記録不在証明書と洗礼証明書)

 

 

②婚姻要件具備証明書が、申請日の翌日午後に交付される

(後にコピーが必要になるので、3通以上作成しておく)

 

 

③3ヶ月以内に、

フィリピン人婚約者が『6ヶ月以上継続して居住している住所地の市町村役場』に2人で出頭し、

婚姻許可書の申請をする

 

 

④『申請日から10日後』に婚姻許可書が発行されるので、

120日以内に判事/牧師の下で結婚式を挙げ、結婚契約書に2人が署名

 

 

⑤婚姻契約書をフィリピン側市町村役所に登録、

その謄本を日本での婚姻届の際に提出(結婚から3ヶ月以内)

 

 

おおまかに記しても、

やはり手間がかかるし、実際に現地での行動は大変だ。

 

 

 

 

しかし、大変な思いをした分、

無事に結婚でき2人で暮らし始めた時の喜びは、例えようがないほどの嬉しさだが、

それはもう少し先のこととなる…。

しばしの別れ…

 

 

タレントとしての宿命

当時、ミキはスタッフの一人としてしか、自分のことを見てなかったと思う。

 

実際、彼女にはリクエストするお客さんもいたし、

日曜日には同伴出勤もしていた。

 

 

こちらに対し、毎日のように

「アサワコ~♡」

などと甘えて呼んでいても、それはそれ。

 

 

恋愛感情は全くなく、

彼女にしてみればフィリピーナお得意のジョークに過ぎず、

こちらの一方的な思いなど、迷惑でしかなかったに違いない…。

 

 

それでも、

「アサワコ~♡」

と彼女に呼ばれるのをいいことに、

彼女への、好きという気持ちは日増しに強くなっていくばかりだ。

 

ミキと毎日話しをするようになり、

アパートチェックの時も、彼女のいる部屋に入り浸ることが多くなっていた…。

 

 

 

疑似恋愛とわかってるつもりでも、

彼女との距離が近くなるのを感じ、そんな毎日が楽しかった。

 

 

 

 

しかし…

 

 

 

ミキとの別れの日がやって来る…。

 

お店との契約期間の、6ヶ月の満了日が近づいてきたのである!

 

フィリピンパブの女の子は、

6ヶ月間お店で仕事をしたら、いったんフィリピンへ帰らねばならない。

そして、

6ヶ月経つと、また日本へ来る。

 

基本的にその繰り返しだ。

 

リクエストがあれば同じお店で働けるが、なければ違うお店に行くことになる。

 

 

 

こればかりは、タレントの宿命としか言いようがない…。

 

サヨナラパーティー、そして彼女はフィリピンへ…

その日は、ミキの他にも契約満了の女の子が何人かいた。

 

 

”サヨナラパーティー”と称した、彼女たちの6ヶ月間の最後の日。

 

店内はバルーンや花で賑やかに飾り付けられ、いつもと違う雰囲気。

オードブル、豪華なフルーツの盛り合わせが、パーティーチケットを買ったお客さんに振舞われる。

 

 

今日でお別れの女の子は、

普段よりも少し豪華なドレスを身につけ、目一杯オシャレして最後の仕事につく。

 

 

 

お店にとって、サヨナラパーティーは稼ぎ時。

 

そのため、1ヶ月くらい前からパーティーチケットをお客さんに買ってもらうため、

タレントの女の子は勿論、自分たちスタッフも当日までチケットの売り込みに神経をすり減らす…。

 

 

 

この6ヶ月間、楽しいこと、辛いこと、いろいろあっただろう…。

 

指名が取れず、社長から怒られたこと、

嫌なお客さんにも我慢してテーブルについたこと、

本命のお客さんとの楽しい思い出…

 

 

 

だが、それも今夜まで。

 

お店が終われば、彼女たちはプロモーターに連れられて成田空港に直行し、

家族の待つフィリピンへ向かう。

 

半年振りのフィリピンへ想いを馳せているのか、パーティーの主役の女の子は自然と笑顔がこぼれる…。

 

 

 

いつも以上に忙しい時間が過ぎ、閉店時間の少し前になり、

今日でサヨナラの女の子たちが、

 

山口百恵 ″さよならの向こう側″

をバックミュージックに、ステージに立って一人一人挨拶をする…。

 

 

6ヶ月も一緒にいると、感情移入してしまい、

それぞれの女の子が家族みたいに思えてきて、明日からいないのが寂しくなる。

 

嬉しさと、他のタレントと別れる寂しさで、泣いている子の姿も。

 

 

 

ステージの上のミキの姿を、

ホールの隅から見つめ、涙が出そうになるのを自分は必死でこらえている…。

 

 

 

 

果たして、彼女に再び会える日は来るのか?!

 

 

数時間後、

ミキをはじめとする女の子たちは、機上の人となり、待ち焦がれたフィリピンへ帰っていった…。

 

Bakit Pa Ba

 

http://

 

JayR ″Bakit Pa Ba″

タガログ語Music…俗に言う、OPM。

 

OPMに興味を持ち始めた頃は、

日本のヒット曲のタガログ語バージョン、いわゆるJPMばかり探して聴いていた。

 

 

いきなり知らないメロディーのOPMはちょっと敷居が高く、

馴染みのある日本のヒット曲のメロディーで、タガログ語に触れようと思ったからに他ならないのだが…。

 

 

 

 

徳永英明 ”最後の言い訳” ”壊れかけのRadio”

中西保志 ”最後の雨”

郷ひろみ ”逢いたくて仕方ない”

小林明子 ”恋に落ちて”

安全地帯 ”じれったい”

松田聖子 ”抱いて…”

尾崎 豊 ”I LOVE You”

 

あたりが有名どころ?で、

フィリピン人シンガーによって、タガログ語で歌われている。

 

 

日本語の歌詞と全く意味が違うタガログ語だが、

入門用としては、うってつけかもしれない。

 

 

 

これらのJPMは、今CDを探しても、なかなか見つからないようだ。

 

JPMもいいが、やはりOPM

JPMをかなり聴いていると、

次は本当のタガログMusic、OPMを聴いてみようか?という気になってくる。

 

次へのステップアップ…初心者から中級者になる、そんな感じか?

 

 

今ならインターネットでフィリピンのラジオが聴けるから、

好きなだけタガログMusicに触れ合える。

 

 

フィリピンの最新ヒット曲も聴くことも出来る。

 

OPM好きには、

フィリピンのラジオは必須アイテム。

 

 

 

タガログ語ニュースはAMで、OPMはFM放送で…。

自分は、そんな感じでフィリピンのネットラジオを聴いている。

 

 

 

 

時々ラジオで流れることがある、JayRのこの曲も、

好きな曲の一つだ…。

フィリピンの家族のために…

 

日本人はお金持ち

日本人の給料の目安として、

『月給手取り20万円』という考え方があると思う。

 

 

総支給額は25万円だったとしても、

住民税や健康保険やらの税金が引かれ、

手取り『20万円』になってしまうが、

 

〈20万円が、何とか一般世間並みに生活していける最低ラインの給料〉

 

そう捉えている人が多いと思われる。

 

手取り30万円になれば、多少の余裕が持てると思う。

もちろん家族構成にもよるが、

金額的にはそんな印象がある…。

 

 

我々日本人は、手取り20万円でも窮々としてしまうが、フィリピンでは大金である。

 

1ペソが約2.5円としても、

20万円は80000ペソになる。

 

一般的家庭の月収が約30000ペソだから、

2ヶ月分以上の大金だ。

やはり、フィリピン人から見れば日本人はお金持ちに違いない。

そして、そんな日本人男性に対し、

フィリピン女性は生きるのに貪欲なまでに、ぶつかってくる。

 

ある意味、本当に人間らしいとも言えるが…

https://kawaiitsuma.com/kokusaikekkon/kokusaikekkon.html

 

 

本当に歳の差20歳も関係ない?

日本には、

国際結婚を斡旋する結婚相談所がある。

 

60歳になろうかという日本人男性と、

20歳そこそこのフィリピーナが結婚…

そんな話を時々聞く。

 

 

10~15歳くらいの歳の差は、いたって当たり前の事らしい。

 

 

いくら結婚相手の日本人がお金持ちだったとしても、

本当に、自分の父親かそれ以上の歳の男と、

20歳そこそこのフィリピンの女の子が喜んで結婚するのか?

 

自分と同じくらいの歳のフィリピーノのほうがいいはずだ!

 

 

 

が、60になろうかという独身者は、自分の老後の面倒を見てくれる女性を探し、

女の子は旦那さんのほうが先に亡くなってしまうから、遺産も手に入るし、それまでの辛抱…

 

悪く言えば、そんな打算的な考え。

良く言えば、お互いにwin winの関係で結婚が成り立つのだろうか…。

 

 

 

一昔前ほどではないが、日本人と結婚するフィリピン人女性はまだ多い。

 

『お金持ち日本人と結婚して、

フィリピンの両親に新しい家をプレゼントする…』

 

そんなジャパンドリームは、今も生きているようだ。

 

 

執筆者プロフィール
松田ミキオ (まつだ みきお)
フィリピンに全く興味が無かった男が、まるで運命に導かれるようにフィリピーナに恋をして、31歳で国際結婚。周囲の好奇の目をよそに、結婚歴18年が経過したが…詳しいプロフィールはこちら
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