お母さん、ありがとう。。。

従姉妹

お兄さんから電話があったことなど忘れかけていた、

その日の夜8時過ぎ…

 

 

電話が突然、けたたましく鳴った。

 

妻の従姉妹で、

同じ県内に住むイメルダさん(仮名)からだ。

 

 

彼女は、私の妻と同じく日本人男性と結婚していて、

日本在住も20年を超えている。

 

イメルダさんのお母さんと、妻のお母さんは姉妹。

その為、彼女が昨年の春にフィリピンに帰った時は、

妻のお母さんにも会いに行き、

その様子を知らせてくれた。

 

 

私も、彼女には何度か会ったことがあるが、

心優しい女性だ。

 

 

「モシモシ、マツダさん?

 

コンバンハワ。。。」

 

 

いつものように明るい声だったが、

彼女の次の言葉に、思わず息が止まりそうになった。

 

 

 

「フィリピンからさっき電話があったんだけど、

ネネ(私の妻)のお母さん、

今日、亡くなったらしいよ。。。」

 

 

 

えっ?!

 

 

お母さんが、亡くなった。。。?!

彼女の話によると、

 

妻のお母さんは病院に運ばれ、

集中治療室で治療を受けていたが、

 

意識が戻ることは無く、

静かに息を引き取ったという。

 

 

イメルダさんも、何時に亡くなったとか、

詳しいことは、まだよくわからないらしい。

 

 

 

 

本当なのか?!

 

 

4月~5月のフィリピンは、

一年で最も暑い時期である。

 

今年も連日、40℃くらいまで気温が上がり、

 

時には、

42~43℃になる日もあったらしい。

 

 

80歳になるお母さんには、

連日の猛暑が体に堪えたのだろう。。。

 

 

 

 

そして、やっと気付いた。

お兄さんの朝の電話は、このことだったのか!

 

 

あれから電話は無いが、

Facebookを見ると、

 

妻の姪っ子たちが、横たわるお母さんの姿を写真に載せ、

お別れの言葉を書いている。

 

 

お母さん、ありがとう。。

その後、フィリピンから電話があり、

 

昨年の渡比でお世話になった、

日本語が話せるクリスティーナさん(仮名)が、

お兄さんに代わって、様子を詳しく教えてくれた。

 

 

 

亡くなったのが、まだ信じられない。。。

 

 

しかもコロナの影響による自治体の指示により、

遺体は亡くなったその日のうちに、

荼毘に付されてしまったというではないか!

 

。。。。

 

 

昨年、数年ぶりにお母さんに会った時、

涙が止まらなかった。

 

 

とにかく、お母さんには申し訳ない気持ちでいっぱいで、

言葉にならなかった。

 

『あなたは、私の日本の息子』

 

 

とまで言ってくれた、心優しいお母さん。

 

私にとっては、

『フィリピンのお母さん』でした。

 

 

 

昨年会ったのが、まさか最後の別れになるとは…

 

だが、もし昨年フィリピンに行ってなかったら、

今年はコロナ禍の影響で、

渡比できたかどうかもわからず、

 

後悔してもしきれないところだったかもしれない。

だから、

昨年お母さんに会えて良かったんだよ!

 

 

 

 

お母さん、

優しくしてくれて、本当にありがとう。

 

これからは、フィリピンのファミリーを見守ってあげて下さい。。。

 

別れは突然やって来る…

ピンぼけ?!

10月のフィリピン訪問から帰国し、

日本で普段の生活に戻っていた私だが、

 

 

実はフィリピンに行く度に、毎回あることに悩まされていた。

 

 

それは…

 

日本に帰って来ると、一週間ほど何事もやる気が起きないのである。

 

 

 

いわゆる、”ピンぼけ” (フィリピンぼけ)状態である。

 

 

眩しい太陽が降り注ぎ、人々の優しい笑顔、美味しい料理、フルーツ。

そして、

決してあくせくすることのない、″フィピンタイム″。

 

 

仲間とたむろし、

昼間から道端でビールを飲んで騒いでいても、

それが普通の光景のような国。

 

貧富の格差が大きく、

国民の半数以上が貧しいと言われるフィリピンだが、

皆、今を懸命に生きている。

 

そして、心から好きなことをしているから、

とびきりの笑顔ばかりだ。

 

 

その為か、

フィリピンに行くと素の人間に戻れるような、そんな気がするのである。

 

普段は、周りの視線を気にしている日本での暮らし。

 

それが、

フィリピンという、非日常的空間に数日間滞在するだけで、

人間として「生き返る」。

 

その喜びが大きいだけに、

帰国後の現実に引き戻されることに、

 

身体と心が、激しく抵抗するのである。

 

 

だが、

今回は数年ぶりのフィリピンだったのにも関わらず、

帰国後の ”ピンぼけ” が、無かったのである。

 

フィリピンが非日常に感じなくなってきた、ということだろうか・・・

 

出なかった電話

既に帰国から半年近くたった、5月初め。

 

コロナウィルスの蔓延は日本はもとより、世界でも猛威を振るい、

 

フィリピン国内では、

庶民の外出などの行動が厳しく制限されていた。

 

一家族のうち、

許可証を持つ者しか外出が許されず、

市場などへの買い物も、自由に出来ない状態だと聞いていた。

 

 

そんなある日、

Messenger の電話着信音が激しく鳴った。

 

時間は、朝の7時過ぎ。

妻のお兄さんからの、呼び出しだった。

 

 

「こんな朝早くから、一体何だ?!」

 

 

そう言えば先日も、

お母さんの通院代、薬代のお金を送ってほしい…

と言ってきたので、

 

「もう少し待ってて…」

 

と言っておいたのに、またお金のことか?!

それも、こんな朝から?!

 

 

 

そう判断した私は、呼び出しに出なかった。

 

 

ほどなく切れたが、

直ぐにまた呼び出し音が鳴った。

 

しばらく鳴り続けていたが、

結局、電話には出なかった。

 

 

しかし、

 

お兄さんからの電話が、お金の催促ではなかったと知るのは、

その夜のことだった。

 

執筆者プロフィール
松田ミキオ (まつだ みきお)
フィリピンに全く興味が無かった男が、まるで運命に導かれるようにフィリピーナに恋をして、31歳で国際結婚。周囲の好奇の目をよそに、結婚歴18年が経過したが…詳しいプロフィールはこちら
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