タレント
日本でフィリピンパブが全盛期だった1990年代後半~2000年代前半にかけて、
多い時には、
年間約80,000人のフィリピーナが、
日本にタレントとして入国していたという…
彼女たちの日本での契約期間は、6ヶ月。
契約が終わると、
一旦フィリピンに帰国せねばならない。
そして、現地で6ヶ月待機。
日本でフィリピンパブが全盛期だった1990年代後半~2000年代前半にかけて、
多い時には、
年間約80,000人のフィリピーナが、
日本にタレントとして入国していたという…
彼女たちの日本での契約期間は、6ヶ月。
契約が終わると、
一旦フィリピンに帰国せねばならない。
そして、現地で6ヶ月待機。
若者の間でシェアハウスが人気だという。
寝る部屋は別々でも、
リビングで一緒に食事をしたり、
TVを見たりと、
孤独に陥りがちな独り暮らしに比べ、
誰かと話をすることで精神的にも健康になり、
悩み相談もできる。
また、
車などもシェアすることで余計な出費も抑えられる。
閉店準備をしていた私は、突然店長に呼ばれた。
急いでカウンターに向かうと、
店長の隣には、最近いつも見かけていた、
"あの人"が、
笑いながらこちらを見ていた。
すると、"あの人"が、
「おぉ、松田…お前、ピン中か?!」
と、突然話を始めた。
20歳の時に、
先輩に連れていってもらった、
フィリピンパブ。
しかし、
当時の自分の肌には合わず、
嫌な思い出だけが残り、
さらにフィリピーナが嫌いになった。
それから約6年後…
既に、
水商売の世界に足を踏み入れていたが、
そこで出会った、
二人のフィリピーナのお陰で、
自分勝手な
「フィリピーナに対する偏見」
が消えていった。
いや、
それだけに収まらず、
「もっとフィリピーナと仲良くなりたい!」
そんな想いから、
市内でも、
『トップクラス』の人気店でもあり、
また、
スタッフには厳しい…
と評判だったお店に、
決意を固め、移ったのである。
当時はまだ、
調理師として活躍したい!
という強い想いから、
調理師学校の夜間部に通っていた。
その為、
正社員ではなく、
夜10時過ぎから、
朝4時の閉店までの、
アルバイトとして働き始めた。
働き始めてしばらくした、
ある日のこと─
閉店時間も近づいてきた、
午前3時ころ、
お店の入り口の横のカウンターで、
店長と時々笑いながら話している、
男性の姿が目に入った…。
「ワッハハハ…」
豪快な大きい笑い声は、
存在感が際立っていた。
また、あの人だ…
店長と笑いながら話している様子から、
かなり親しい間柄なのだろう。
しかし、
どうもお客さんではない。
毎日のように見かけるけど、
一体誰なんだ?!
背丈は自分と大して変わらない。
しかし、
がっしりとした体格、
緩めのパーマをかけたヘアスタイル、
顔つきは、
眉毛が太く、
髭も剃り跡が濃い…
そう、
まるで…
何かのTV番組で見たことがある、
長嶋茂雄の選手時代にソックリ!!
の顔つきだ。
しかも、
物腰や、
醸し出す雰囲気から、
ただ者ではないな…
それだけは、
はっきり伝わってきた。
と、その時─
「松田~、コッチに来てくれ!」
と、店長から呼ばれた。
一体、何だ?!
そう思いながら、
店長と、
『独特の雰囲気』を漂わせている、
その男性の立っているところへ、
少し緊張しなから、
足早に向かう─
フィリピンパブ、聞いて多くの方は、
どんな想像をするだろうか?
男性なら、
ホステスがフィリピン女性なだけ、
とほとんどの人は理解しているだろう。
なにか、いかがわしいお店なんじゃないの?!
女性にはそう思われる人がいるかもしれない…。
中国エステ、タイ式マッサージなどで、
一部の店舗がいかがわしいサービスをしていて摘発された…
そんなニュースを聞くことがあるからなのだろうが、
フィリピンパブもいかがわしいお店だろう…
そう勘違いしている人が、時にはいるようである。
しかし、いたって普通の時間制パブです。
女の子がフィリピン女性である、
ただそれだけのことで、
お客さんにお酒を作ってあげたり、話しをしたり、一緒にカラオケを歌ったりするのは、
日本人の女の子のお店と同じだ。
が、雰囲気が全く違う。
店内は陽気なフィリピーナたちの若いエネルギーが充満した、独特な雰囲気に満ちている。
そう、まさしくここは、
異国のフィリピンなのである!
俺は外国人なんか嫌だよ、
1回みんなで行ったけど、フィリピン女性は言葉も片言でつまらなかったよ…
こんな話をよく聞く。
しかし、
こんな人こそ、フィリピンパブにハマってしまう可能性が高い。
かくいう自分も、
最初にフィリピンパブに連れていってもらい、
全く面白くなく、2度と行くものか…
そう思っていたのに、ふとしたことでハマってしまったのだから。
フィリピンパブの女の子は陽気で人懐っこく、
ジョークを言ったりして、お客さんを楽しませようと健気なまでだ。
日本人にはないエキゾチックな顔立ち、
そしてスタイルがいい。
いつしか彼女たちの魅力にハマってしまった…
そんな人が多いのも頷ける。
ハマり過ぎて全財産を失ってしまった…
過去には、そんな話も聞いたことがある。
彼女たちの魅力にハマるのはいいが、
身を持ち崩しては、何にもならない。
くれぐれも注意すべきだろう。
フィリピンパブで仕事を始めるようになると、
いつも笑顔の絶えないフィリピーナ達に囲まれ、その魅力にハマっていった…。
普段は、
夕方4時に出勤すると、お店の掃除などの開店準備に始まり、
ミーティング、系列店の日本人の女の子の送迎などに従事。
お店の営業時間は夜7時~翌日の午前4時まで。
その間は厨房兼ホール係(ウェイター)として忙しい業務をこなす。
営業終了後は社長から全スタッフ、女の子全員へのその日の営業に関する一言がある。
売り上げが悪い日は、
1時間近くも社長からの喝入れがあった。
そのため、
お客さんが少なく、売り上げが悪かった日などは、
スタッフもフィリピーナの女の子達も、これから始まるミーティングに皆一同に沈んだ暗い顔で、社長に戦々恐々としたものだった…。
ちなみに、社長は普段は笑いが絶えない豪快な印象。
仕事には厳しいが、
それだけに筋が通っている人だ。
接客の仕方にしても、
理論立ててフィリピーナの女の子にもキチンと指導し、
その通りにするとリクエストも確実に増えるので、
女の子からの信頼は抜群だった。
…
ミーティング終了後は再び女の子の送迎、お店の清掃などがあり、
午前6時位に退勤…。
基本的には、そんな毎日を送っていた。
1日12時間以上も拘束され、休日は月に2日。
まだ20代だったから身体も何とかなったが、
フィリピン、フィリピーナの女の子が好きでなかったら、
とても耐えられない激務なのは確かだ…。
そんな激務の毎日だが、
フィリピーナの女の子の魅力にハマっていた自分からすれば、
給料を貰いながら、フィリピンパブを楽しんでいるような感覚だった。
覚えたてのタガログ語で女の子と話をしたり、
お客さんの歌うタガログソングに興味を持ったり。
時々、
スタッフなのかお客さんなのか、
自分でもわからなくなるくらいに感じたのを覚えている…。
…
そんなフィリピンパブで、お客さんがよく歌っていたのが、
山根康広 "Get Along Together"
だった…
まるで、
タレントのフィリピーナの女の子と、お客さんの恋を歌っているようでもある。
日本中のフィリピンパブで、
どれだけ歌われたのだろう…。
当時はそれ程歌詞が心に刺さらなかったが、
フィリピーナの女の子と結婚した現在は、痛いほどに歌詞が理解できる。
今でもこの曲を聴くと、
イントロのメロディーだけで、
涙が浮かんできてしまうくらいになってしまった。
フィリピンパブ時代の心に残る名曲である…。