結婚式
動画は、
フィリピンで Singing Police woman として一躍有名になった、
Jackyさんの結婚式の様子 。
世の女性ならば、結婚式の白いウエディングドレスに憧れると思う。
「ワタシ、大きくなったらお嫁さんになるの!」
TVなどで、幼稚園の小さい女の子が将来の夢を聞かれ、
こんな言葉を口にしているのを、皆さんも見たことがあるだろうが、
”お嫁さん”
というのは、女の子にとっては永遠の夢なのだろう。
”白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる…”
というのも、これに近いだろう。
シンデレラなども、そうかもしれない。
そして、
男にとっては、それほど結婚式に固執しない向きもあるが、
女性にしてみれば、
裾の長い純白のウエディングドレスを着て、
バージンロードを歩くことは、小さい頃からの憧れなのかもしれない…。
誰が言ったか忘れたが、
人間が主役になるのは、
生まれた時、
結婚式、
そして葬式の時。
らしい…。
生まれた時のことは覚えてないし、
死んだ時のことは、全く想像もつかない。
人生のうちで一番美しい時に、皆から結婚を祝福されたい!
その気持ちは、十分にわかる。
全ての女性は、ロマンチストなのである。
夢見るフィリピーナ
私は国際結婚をしているが、
フィリピンで盛大な結婚式を挙げたわけではない。
一応はフィリピンの正装である、バロンタガログを着用し、
妻は、白いドレス(ウエディングドレスではない)を着て、
簡単な式をしただけである。
「国際結婚だから、派手な式を挙げたんでしょう?」
などと聞かれたりするが、
どうも国際結婚というのは、派手なイメージが先行しがちなようである。
さて…。
結婚当時は何も言わなかった妻だが、
最近になり時々、
「アサワコ、
アコ、フィリピンでウエディングドレスを着て、
結婚式をしたい!」
とか、
「親戚、トモダチ呼んで、結婚パーティーもしたい…」
などと言うようになった。
”やっぱり、
ウエディングドレスを着て結婚式を挙げたいんだな…”
口には出さなくとも、
いろいろ我慢してきたのはわかっていたつもりだった。
彼女も、
心の中は、夢見る乙女なのである。
18年も離れずに付いてきてくれた彼女の願い、
叶えてあげたいが、果たしていつになるやら…。

3.3%の少数派
二十歳くらいの頃、街中で手をつないで仲良く歩いているカップルを見かけたりすると、
「彼女がいてイイなぁ~」とか、
「彼女がほしいなぁ…」
と無性に思ったものである。
その後、ある女性(日本人)と付き合うことになり、
念願だった彼女ができた嬉しさで、毎日が楽しくて仕方なかった。
彼女は結婚したら、どんな奥さんになるだろう?
そんなことを意識し始めた矢先、ちょっとしたことが原因で、その彼女とは別れることになってしまった…。
結婚するのは、難しい…
自分は将来、どんな奥さんと生活しているのだろう…
当事者の男女のほかに、お互いの家族をも巻き込む結婚とは、やはり難しい現実だ…と思ったものである。
同じ日本人でさえ難しい結婚。
相手が外国人となれば、尚更困難になるのは容易に想像できる。
2015年の厚労省婚姻に関する統計によると、
日本人男性の国際結婚する割合は、日本人女性の二倍にもなり、
結婚相手の女性の国籍は、中国に次いでフィリピンが二番目になっている。
そうなるとフィリピーナが奥さんというのも、ありかな…とも思えるが?!
しかし、国際結婚の割合は結婚全体の3.3%と、やはり少数派だ。
フィリピーナを妻に迎えた自分も、この少数派の1人。
良く言えば、希少価値な存在、
悪く言えば、常識外の存在、というところか。
フィリピーナじゃ恥ずかしい?
フィリピーナの彼女と結婚したくて、半ば勢いに任せて突っ走り、無事に?!
奥さんに迎え、少数派の仲間入りを果たして18年…。
結婚当初は喜びに浸っていたが、反面、彼女がフィリピーナという外国人であることに恥ずかしさもあった。
パッと見は日本人ぽくても、そこはやはりフィリピーナ。
日本人より目はパッチリしていて大きいし、肌の色も浅黒い。
そして、日本人と明らかにアクセントの違うヘンな日本語を喋り、話し声も大きい…。
いかにも東南アジア、フィリピーナとわかってしまう!
病院の受付で彼女の名前を呼ばれる時などは、
この人は日本人じゃないなぁ…という周囲の人の反応に、
夫として堂々と振舞えなかったことも。
一緒に買い物とかに出かけても、結婚当初は周囲の目を気にしてばかりだった…。
好きで一緒になったのに、今思えば随分彼女に失礼な感情を心の中に抱いていたことになる。
それでも、結婚して2、3年過ぎた頃にはそんな感情も無くなり、フィリピーナの彼女を妻として素直に受け入れている自分になっていた…。
今なら、フィリピーナの奥さんはあり!!と堂々と言える。

あるフィリピーナとの出会い
子供の頃からTVなどで身近な外国といえば、アメリカ、イギリス、フランスなどのいわゆる先進国で、ニュースや映画、ドラマでそれらの国の文化や生活ぶりに触れていた。
日本とは違い、広い庭にお洒落な家、豪華な食事、大きくてカッコイイ車に乗り、金髪の素敵な彼女…そして広大な自然…
「外国っていいなぁ…こんな生活してみたい・・・!」
子供心に、そんな憧れを持ったのを覚えている。
今でこそ新興国と呼ばれ、経済発展が著しいフィリピン、マレーシア、タイなどの東南アジア諸国も、自分が子供の頃はまだまだ貧しい国というイメージが強く、加えて第二次大戦で日本が残虐行為を行い大きな被害を与えた国々、と学校で教えられていたので、華やかなイメージのアメリカやヨーロッパ諸国に比べて、暗いイメージしかなかった。
日本人旅行者がスリ、殺人などの被害に遭ったり、クーデターなどの政情不安のニュースを聞くたびに、東南アジア、特にフィリピンは危ない!と好きになれずにいた。
ファーストタイムの彼女に…
二十歳の時、職場の先輩に連れられて、初めてフィリピンパブに行った事があった。
その先輩は、お気に入りのフィリピーナ目当てにそのお店に通いつめていた強者、当時まだ珍しい俗に言うピン中だった訳だが…。
時はバブル時代の絶頂期。
毎週末には友人と飲んだくれていたが、その頃日本全国に広がりつつあったフィリピンパブには全く興味がなく、日本人の女の子のお店にしか飲みには行かなかった。
おごってやるよ、という先輩の言葉に少々気が向かなかったものの、フィリピンパブへ行くこととなった。
お店に入りテーブルにつくと、女の子が二人つく。
先輩には指名したお気に入りの女の子が、自分にはもう一人の女の子が隣に座る…。
「ハジメマシテ~○○デース…ヨロシク~♪」
初めて目の前で見るフィリピンの女の子は、化粧が濃く、TVなどに出るフィリピンパブのフィリピーナそのもの。
そんな彼女の第一声に、うわっ!と思わず拒否反応が湧いてきてしまった…。
聞けば何と彼女は、初めての日本だというではないか!!
「オナマエハ、ナンデスカ?ナンサイデスカ?」
「オシゴトハ、ナンデスカ?」
片言の、本当にタドタドしい日本語でいろいろ聞いてくる。
簡単な日本語しか通じないため、こちらも英単語を交えながらの会話が続く…。
しかし、そんな会話も長くは続かない。時々沈黙の気まずい空気が流れ出す。
先輩はというと、お気に入りのフィリピーナと楽しそうに盛り上がっている。
「ウタハ、スキデスカ?」
彼女の一言に、たまらずカラオケに逃げ場を求め、残りの時間のほとんどを歌って過ごすことに…。
そんな初フィリピンパブだった。
心に残ったモヤモヤした感情…
じゃぱゆき、と呼ばれる日本への出稼ぎのフィリピーナ、たどたどしい日本語、以前から持っていたフィリピンへのマイナスイメージ…。
それらが重なり、当時は好きになれなかったのかもしれない。
初めて日本に来て、わからない日本語に毎日悪戦苦闘し、辛いことに涙しながらも、故郷の両親や兄弟姉妹の為にお金を稼ぐ…。
そんな健気なフィリピーナを目の前にして、自分の勝手な思い込みから拒否反応を示したことが、とても残念でならない。
あの時の女の子が、今は幸せに暮らしていることを願わずにいられない。