2月14日
この日は何の日⁈
言わずと知れた、バレンタインデー…
女性から男性にチョコレートを贈るのだが、
「あなたが好きです!!」という愛の告白を意味している‥
だが、これは実は日本だけの習慣だ。
この日は何の日⁈
言わずと知れた、バレンタインデー…
女性から男性にチョコレートを贈るのだが、
「あなたが好きです!!」という愛の告白を意味している‥
だが、これは実は日本だけの習慣だ。
「日本人の配偶者」としてビザが下りた彼女を、
フィリピンに迎えに行き、晴れて夫婦として日本入国を果たし、
2人での生活が始まった。
フィリピンにいた時と違い、
料理や洗濯の家事を、彼女はしなければならない。
『アコ、フィリピンではボスだよ』
そう言って憚らない彼女。
妻には歳の近い従姉妹が何人かいる。
そのなかの一人、アイ。
彼女はタレントとして、妻と一緒に、
日本の同じフィリピンパブで働いた経験を持つ。
2020年時点で、
この世界には約79億人の人がいるといわれ、
男性と女性が、ほぼ同じ割合で生存している。
それぞれの地域に生まれ、成長し、
やがて結婚し、子孫を残し、
この世を去っていく。
ほとんどの人が、
生まれ育った地域(国)の人と結婚し、人生を過ごしている。
それは、ある意味では当然だろう。
しかし、
私のように国際結婚している人も、一定数いる。
好きになった女性に初めて電話するのは、相手がフィリピーナであっても、
「緊張とワクワク」
が入り交じるものだ。
現代ならスマホ(携帯)があるから、
番号を知っていれば、好きな人にもすぐに連絡ができる。
だが、
海外へ電話となるとまた違ってくる。
ましてや、彼女が住んでいるのはフィリピン。
フィリピーナはいつも陽気で明るい、
フィリピーナはユーモアがあって、
ジョークが好き、
フィリピーナは働き者、
そして…
そしてフィリピーナは、嫉妬深い…
結婚前から、そんなフィリピーナの特徴は心得ていたはずだった。
フィリピンパブで仕事をしていたおかげで、
フィリピーナの彼女たちの表と裏を毎日見て、全てわかったつもりでいた。
が、
本当にフィリピーナの嫉妬深さを思い知ったのは、
彼女と結婚し、一緒に住み始めてからだった。
結婚して一緒に生活を始めたとはいえ、
旦那である私のことを、まだ彼女は詳しくは知らない。
どんな幼少期を送ったのか?
どんな学生時代だったのか?
初恋は、どんな女の子だったのか?
どんな仕事をしてきたのか?
…
もう、ことある毎に質問の連続。
目の前にいる、日本人の夫がどんな人生を送ってきたのか?!
興味津々のようであった。
これが逆だとしても、
彼女に対して、私からも質問の雨アラレで、
彼女の「これまでの生きざま」
を知ろうとするだろう…。
実際、
結婚の為にフィリピンへ行った時は、
彼女の幼少期の写真などをたくさん見せてもらったり、
彼女からも、当時のいろいろな話を聞いたりもした。
だから、
彼女から昔のことを聞かれたら、
きちんと答えていた。
が…
さすがに面倒くさく感じ、
昔の写真が収められているアルバムを見せることにした。
まだ3歳くらいの幼少の頃の写真から、
小学校、中学、高校…
そして、
社会人になってからの写真の数々が、
そこには何枚もあり、
彼女は、目を輝かせてアルバムに見入っていた。
と、一枚の写真に
彼女の視線が留まり、一言。
「アサワ、これナニ?!」
それは、
まだ22歳頃の自分が、
当時付き合っていた彼女の肩を抱き寄せ、
二人で笑顔で収まっていた写真だった。
とっくの昔に別れた、当時の彼女。
それでも、
何となく写真を捨てられず、そのままにしておいてしまい、
以後、
捨てるタイミングを完全に逸してしまった、いわくつきの写真。
″ウワッ!!…
これ、完全にアウトだよなぁ?!″
内心、ビクついた…。
「昔のカノジョの写真があるのは、
まだ忘れられないだからデショ?!」
彼女の言葉が、まるで尋問のように感じる。
「もう、昔に別れた女の子だよ?!」
と言っても、全く聞く耳を持たない妻。
さらに、
「ホントは、まだカノジョ好きナンジャナイ?!」
の一言。
この場面では、
余計な言い訳は、彼女の怒りという火に油を注ぐだけだ。
ここは、潔く、自分の過ちを認めるのみ。
それ以上、一切反論しないでいたのだが…。
「もう、イカウはワタシという奥サンがいるんダカラ…」
と言いながら、
その写真をビリビリと音を立てて細かく破り、ゴミ箱に捨てたのだった…。
「…!!」
憐れ…
捨てられずにいた過去の思い出は、
妻によって、いとも簡単に捨て去られたのである。
フィリピーナは、ここまで嫉妬深きものなのか?!
そう再認識するのには、
十分すぎる出来事であった。
妻の妊娠がわかり、翌年の春頃には子供が生まれる…
俺も父親になるのか!!
信じられないような不思議な感覚だった。
妻は、赤ちゃんの名前を、
男の子なら、ヒデキ、
女の子なら、マリア、がいい…
と考え、
まだ半年以上も先の産まれてくる日が待ち遠しいのか、毎日嬉しそうだった。
男の子でも女の子でも、元気で産まれてくれれば…
自分は、
ただただ、そう願うばかりだった。
そんなある日…
…
妻が突然、
「アサワ…お腹イタイ…!!」
と言い出した。
初めは食あたりとか、
そんな類いかと思い、
「へんなもの食べたんじゃないの?!」
などと軽い気持ちで答えていたのだが、
どうもそうではないらしい…。
そして、
トイレから帰ってきた妻が、
「アサワ…血が出た…!!」
と言うではないか!!
まさか…
イヤな予感がする…
翌日、
慌てて妻と二人でレディースクリニックを訪ねた。
相変わらず妻は、
お腹が痛いと言っていた…。
そして…
…
結局、
流産となってしまった…。
オペをした為、
一日だけ入院することになったが、
妻は、夜通しお腹が痛いと言い、ろくに眠れなかったようだ。
妊娠からわずか2、3ヶ月足らずで失った命を想うと、
妻も私も、涙が溢れて止まらなかった。
妊娠がわかる前、妻はかなりの過食症になっていて、
元々47㎏くらいしかなかった体重が、
半年あまりの間に、
あっという間に70㎏を超すくらいになっていて、80㎏にもなろうかというほどだった…。
高血圧など、
体調が良くないことが多くなっていた。
それも、
流産の原因の1つになったのかもしれないが、
皮肉なことに、
流産になって以降、妻は痩せていき、
体調も良くなっていったのは、
生まれてくるはずだった子供が、
母親を助けた…
そう考えるのは、
あまりにも美化しすぎかもしれない。
しかし、
私はそう思いたい…。
いや、
そう思わずにはいられない。
結婚して日本で生活を始めて3年目のある日。
「アサワ…アコ、まだ生理が来ないヨ…
もしかして、ブンテス(妊娠)カナ?!」
突然、妻がそんなことを言ってきた。
それまでも生理が遅かったことが何度かあったので、
「たぶん、そのうち来るんじゃない?!」
と軽く受け流して返事したのだが、
妻は何となく納得できないようで、また様子が少し変だ。
「最近、気持ち悪いときもあるし、レモンとか酸っぱいのが食べたくて仕方ナイダケド…」
確かに、
彼女は最近、食欲が以前より増えた気がする。
結婚前は体重が48㎏くらいしかなく、
お腹と背中がくっつくんじゃないか?!
そう思えるほどに痩せていたのが、
ここ最近は、ほっぺたもふっくらしてきて、
お腹も少し膨らみ、何となくポッチャリしてきたことは感じてはいたが、
まさか、妊娠?!
「まあ、もう少し待てば来るよ…」
「ソウカナ…」
その時は、彼女も渋々ながら納得したのだったが…。
それから何日か過ぎた日、
「アサワ、コレ見て?!」
そう言いながら彼女が見せたのは、薬局で売っている妊娠チェックシートだった。
「見て?!色が変わってるデバ…?!」
確かに、色がついている…。
「うん…確かに…」
「デバ~?!アコ、ブンテス!!」
もう、妻はすっかりはしゃいでいる。
次の日にチェックしても、確かに色が変わっていて、これは病院で診てもらおう…ということで、自宅から程近いレディースクリニックに行ってみることに。
初めて訪れたレディースクリニックは、
外観は清潔感があり、
待ち合い室も何となく可愛らしい感じで、
子供が遊べるスペースが設けてあった。
お腹の大きな妊婦さんや、
迎えに来た旦那さんや家族と一緒に、赤ちゃんを抱きながら退院していく若いママさんがいたり、新しい命の輝きに包まれていた。
名前を呼ばれ、妻と二人で先生のところへ。
妻は診察台がある間仕切りされた部屋へ、不安そうに入っていく。
初めてのことだけに、緊張も隠せない様子…。
しばらくして妻は出てきて、
先生から話があった。
「おめでとうございます。妊娠してます!」
TVドラマでよく見たりするシーンの、そんな言葉とは少し違ったが、確かに妊娠しているという。
まだ2~3ヶ月ということだが、渡されたエコー検査の写真には、それと思える影が写っていた。
「来年の3月には生まれるでしょう」
ついに、自分も父親になるのか?!
先生の言葉が信じられない気持ちだったが、妻は隣で嬉しそうにしている。
生まれてくる子供の為にも、
そして、妻の為にもしっかりしないと…
そう思わずにはいられなかった。
「日本人の配偶者等としての在留資格」
を得た妻を、
フィリピンに迎えに行ったその帰り、
つまり二人で日本に入国する日の朝に妻が大泣きしたのと同じ日、
マニラ空港に向かう途中か、
飛行機の中だったかの覚えがあやふやなのだが、彼女が突然、
「アサワコ、2人の子供、5人ね!!
アコ、子供大好きダカラ…」
といきなり言い出したのである!
彼女自身、7人兄弟姉の末っ子ということで、
やはり、家族は多いほうが良いということを、
幼い頃から感じていたのだろう…。
しかし、
…
今の日本で、子供が5人もいる家庭は珍しい。
それこそ、大家族としてTVに出られそうである。
「アサワ~、ワカッタ?!ハ!」
そう畳み掛けてくる彼女。
『子供5人もいたら、学校に通うようになったら一体どれくらいお金がかかるんだ?!』
そんな稼ぎが、この俺に出来るのか…。
今思えば、
この時の弱気が、その後の波乱万丈の結婚生活を招いてしまったのかもしれない。
「オォ、ワカッタよ!!」
そう答えたものの、仕方なしの返事だった…。
当初は、アパートで2人だけの甘い結婚生活が始まった。
いきなり自分の母親、彼女にとっては姑にあたる人との同居生活は無理だろう…と思ったからだ。
日本人同士でさえ、嫁姑の間は良いものではないのに、外国人となると全くどうなるのか予測不能状態。
それでも、そう遠くない場所に住む姑のところに頻繁に行ってるうちに、かなり打ち解けたらしく、
「お母サン、1人で住むカワイソウ。
アコ、一緒に住むヨ…」
自分からそう言い出し、2人だけのアパート生活は数ヵ月で終わり、
私、私の母親(姑)、彼女、の3人での生活が始まった。
この時、
自分は何となくまだ、アパートで2人で生活していたほうが良いのでは…?!
そう感じていた。
自分の独立心が、親と一緒に住むことで実家に甘えてしまうのではないか?!
そんな不安が絶対に無い!
と言い切れなかったからなのだが…。
この時の決断が、その後の結婚生活を決める、
最初のターニングポイントだったかもしれない。
人生に、もし…というのはないが、
この時まだアパートに留まっていれば、全く別の結婚生活になっていたに違いない。
そして、それから3年後のある日…
いわゆる″じゃぱゆき″(今はあまり使われなくなった言葉だが)として、日本にフィリピンパブ嬢の出稼ぎに来ていた一人のフィリピーナとの出会いが、二人の始まりだった。
出会ってからしばらくして、
なぜか彼女は私のことを、
「アサワコ~」と呼ぶようになった。
フィリピーナ特有の大きな瞳がカワイイ、
ロングヘアーの似合う彼女のことは、初めは特別な感情もなかった。
しかし、
毎日のように「アサワコ~♪」と彼女から呼ばれているうちに、少しずつ、彼女のことが気になりだし、気がつけば好きになっていた…。
タレントはお店との6ヶ月の契約で来日する。契約が終了しフィリピンに帰国後も、
同じく6ヶ月が過ぎないと再来日ができない。
彼女もお店との契約期間の6ヶ月が終わり、フィリピンに帰国。
もう、これで彼女に再会する可能性は、
お店からのリクエスト以外あり得ない。
売り上げNo.1、No.2とかのタレントでなかったから、その可能性は少ない。
もう、会うこともないのか…
そう諦めかけていた時に、同じ県内のお店に来たという、彼女からの電話。
運命の神は、
再び二人を引き合わせてくれた!!
そして半年後…
彼女の帰国直前にプロポーズした。
彼女は、私との結婚を決意してくれた。
帰国した彼女の後を追うようにフィリピンへ。
ご両親への挨拶を済まし、
数ヶ月後、現地で結婚手続き。
日本の役所にも書類を提出し、あとは日本人の配偶者としてのビザが許可されるのを待つだけ。
数ヶ月後、ビザが許可され、彼女を迎えに再びフィリピンへ。
いよいよ日本へ二人で入国する日の朝、
住み慣れたフィリピンの我が家、
ご両親、
兄弟姉妹
との別れに、彼女は大粒の涙を流し、大泣きしたのだった…。
その涙を見て、
彼女を大事に守っていかなければ…
そう心に誓った。
いつも一人でフィリピンを往復していたのが、
彼女と二人での日本入国。
結婚できた喜びとともに、これからの生活への期待感と少しの不安を思ったあの日…。
あれから18年が過ぎた。
決して順風満帆な結婚生活ではなかった。
あまりにも色々な出来事がありすぎ、
波乱万丈だったと言える。
いつしか、彼女がいるのは当たり前のようにさえ感じていた。
決して、ぞんざいな態度を彼女に対し取っていたつもりはない。
18年の年月は、いつしか二人の間の空気さえも変えてしまったのだろうか?!
今、
私の隣に彼女はいない…。
だが、それは巷でよく聞く離婚の為の別居とか、そんな類いではない。
ここで言うには、まだ時間がほしい。
いずれ、全てをお話し出来ると思います。
今、ハッキリと言えることは、
彼女を愛している心は、変わっていない!!