決して忘れない‥
フィリピーナの妻と結婚してからは、
当然だが、
二人でフィリピンに「里帰り」
するようになった。
フィリピンのファミリーは、
日清シーフードヌードル、チョコレート、化粧品、
服などをお土産にすると喜んだ。
シーフードヌードルは現在でも、
フィリピンにお土産で持っていくと、喜ばれる。
これは妻のファミリーだけでなく、
フィリピン人の多くに言える。
フィリピーナの妻と結婚してからは、
当然だが、
二人でフィリピンに「里帰り」
するようになった。
フィリピンのファミリーは、
日清シーフードヌードル、チョコレート、化粧品、
服などをお土産にすると喜んだ。
シーフードヌードルは現在でも、
フィリピンにお土産で持っていくと、喜ばれる。
これは妻のファミリーだけでなく、
フィリピン人の多くに言える。
タガログソングに興味を持ち始めた頃は、日本のヒット曲をタガログ語で歌っている、
JPM(Japan Philippino Music)
なるものを何曲も聴き、
ついには、歌えるようになった。
こんな曲もタガログ語でカバーされてるんだ…
そんな感動すら覚えたが、
毎日のようにJPM ばかり聴き、歌っていると、
何か物足りなくなってきた。
20代後半、
フィリピンパブで働くようになると、タレント嬢の話す「タガログ語」
に興味を持つようになった。
日本人にとって外国語というと、
やはり「英語」だ。
英語は『世界標準語』ともいうべき存在であり、
日本人にとっても、大切な外国語。
歴史的経緯から、英語が広く普及しているフィリピン。
だから、
フィリピン人は英語を話せる。
だが、
普段の会話はタガログ語。
さて…
世の中には様々な分野で、他人より能力が抜きん出ていて、その実力をいかんなく発揮する人がいる。
いや、
能力は平凡でも、努力でその分野のトップになる…と言ったほうがいいかもしれない。
外国語を現地の人のように、流暢に話すなどは、その典型かもしれない。
日本人は、
中学、高校と6年間も英語を勉強するのに、
英語が喋れない…
これは、今や世界では、よく知られているらしい。
そんな日本人の中にも、
英語をネイティブ並みに流暢に話せる人は、
一定数は存在する。
しかも、
海外留学することもなく、独学で英語を身に付けた、
そんな強者の日本人もいる。
一方、フィリピン人はというと…
母国語のタガログ語、
第2言語とも言える英語を話し、
さらに、
日本人の旦那さんと結婚して、日本に暮らしているフィリピーナは、日本語も話せる…。
いやはや、
フィリピン人の、言語習得能力の高さには、全く驚かされる。
そんなフィリピン女性と国際結婚した私は、
すっかりフィリピンの魅力の虜になり、
タガログ語にも興味があるが、
中でも、
OPMと呼ばれる、タガログソングに非常に興味がそそられるのである。
初めて聴いたタガログソング(OPM)が、
そんな哀愁を帯びた曲だったのかもしれない…
どの曲を一番最初に聴いたのかは、はっきり覚えてはいない。
が、Anak という曲が、
私が小学校だった頃に、
加藤登紀子や杉田二郎などが、日本語でカバーして歌っていたと記憶している。
おそらく、
私が最も遠い昔に、初めて聴いたフィリピンの曲に違いない。
anakとは、息子という意味である。
息子を思う両親の気持ちを歌い上げた曲だが、
メロディも歌詞も、
何とも物悲しいのである…。
私が知る限り、
最も物悲しい、涙を誘うOPMだろう。
日本語訳の歌詞にすると、さらに悲しみが増してくる。
生まれた時は皆から祝福され、
お前の為に、母さんはミルクを嬉しそうに準備したものだ…
あんなに可愛かったお前は、
思春期になると、親に反抗し、
自由になりたい!!と言い出し、
私たちを困らせた…
そして、
お前は家を出ていき、
今はどこで何をしているのか?!
私も母さんも、とても心配している…
ざっくり言うと、こんな感じになるのだが…
涙なしでは、聴くことが出来ない曲です。
JPMについては、
以前にも話したことがあると思う。
Japan Pilipino Music の略であり、
日本のヒット曲を、タガログ語で歌っているものを指す。
有名なのは、
徳永英明の「最後の言い訳」を、
日本人歌手のテッド伊藤がタガログ語でカバーした、
「Ikaw Pa Rin」だろう。
1990年代半ば~後半にフィリピンで大ヒットし、
テッド伊藤は一躍スターになった。
当初は、
″日本とフィリピンのハーフ″という触れ込みだったらしい。
初めてテッド伊藤の歌声を聴いたとき、
タガログ語が上手なので、
「この人、一体何者?!」
と驚いたものである。
日本、フィリピンのハーフなら、タガログ語が上手くて当たり前か…
そう納得したのだが、
本当は生粋の日本人。
「Ikaw Pa Rin」でもテッド伊藤について話しているが、
https://kawaiitsuma.com/tagarogugo/ikawparin.html
Ikaw Pa Rin の他にも、JPMを何曲も歌っている。
同じ徳永英明の「壊れかけのRadio」
谷村新司の「Far away」
そして、
尾崎豊の「I love you」
などもタガログ語でカバーしている。
1980~1990年代の日本のヒット曲がJPMに多いのは、日本がバブル全盛期で海外進出に積極的だったからなのでは…?!
というより、
当時の日本での、フィリピンパブの爆発的な人気が、原因に考えられるだろう。
日本に出稼ぎに来るフィリピーナの、
「仕事用」として、
JPMは需要があったと思われる。
サービス精神旺盛な愛くるしいフィリピーナが、日本のヒット曲をタガログ語で歌う…
これだけでも、
日本人のお客さんとフィリピーナの間で話のタネが出来る。
果たしてテッド伊藤は、そこまて考えてのフィリピン進出だったのか?!
それはわからないが、日本のピンパブの功労者であることに間違いないだろう。
そんなテッド伊藤のタガログカバーする、
「 I love you 」だが、
カラオケでは、
タガログversionが見つからなかったので、
尾崎豊の「I love you」のカラオケで歌ってみた…。
ちなみに、
JPMは、
日本語の歌詞とは、全く意味が異なるタガログ語で歌われていることが多い。
また曲の雰囲気が全く変わるのも、一つの魅力かもしれない。
…
それにしても…
お耳障りは承知の上、
スター気分で歌ってますね…( ̄▽ ̄;)
フィリピンパブで仕事をするようになり、
タガログ語に興味を持った。
まずは、
食べ物、体の名称、身の回りのものなどの簡単な単語を覚えていった。
お店では、毎日カラオケをお客さんがよく歌う。
その中に、
タガログソングを歌うお客さんがいた。
よく歌えるなぁ~と感心していたら、
これって、どこかで聴いたことのあるメロディーだよなあ?!
もしかして…
五輪真弓の「恋人よ」じゃないの?!
この歌もタガログ語でカバーされてるの?
そんなことがあってから、
タガログソングに興味が沸いてきてた。
調べてみると、
日本のヒット曲が数多くタガログ語でカバーされてることがわかった。
https://kawaiitsuma.com/tagarogugo/ikawparin.html
そして、それは日本のヒット曲のタガログ語訳だとばかり思っていた。
しかし、
「全く関係のないタガログ語で歌われている」と後に判明。
少しガッカリした覚えがあるが、
メロディーを微妙にアレンジしたりして、
フィリピンの曲に聞こえてくるから不思議。
以前からカラオケは好きだったので、
タガログソングを歌うことに抵抗はなかった。
愛してる、
あなたは私の人生、
君への想いを止められないんだ、
などなど…
とにかく、
想いをストレートに表現するタガログソングの魅力の虜になり、
同じ曲を何度も何度も聴き、
目で文字を覚えるのでなく、
耳で歌詞を覚えることを繰り返した。
そして、実際にカラオケで挑戦。
ソラでワンコーラス歌えるくらいになっていれば、かなりそれらしく歌えた。
何曲か歌えるようになれば、
あとは歌詞を見なくても歌えるように、
ひたすら繰り返し歌う。
この間、歌詞の意味は、ほとんど無視。
というか、考えていない!
考えるのは、
タガログ語をしっかり発音できているか?
これだけ。
似たようなフレーズが頻繁に出てくるので、
違う曲でも、かなりそれらしく聞こえるようになってくる。
ただ、
あまりにタガログソングに夢中になり、
なかなか会話が修得できないのが、最近の悩みでもある…。
外国語に興味を持ち覚えたいとなると、
歌で覚えようとするのは、一つの方法だ。
英語を覚えるのに洋楽を聴くのと同じ様に、
タガログ語を覚える方法として、
やはりタガログソングに興味が出てきたのは、自然な流れだった…。
当初は、
日本のヒット曲をタガログ語でカバーしている、いわゆるJPMを聴き始めた。
いきなりOPMは敷居が高く感じたのと、
聞き覚えのあるメロディーのほうが、歌詞を早く覚えられると思ったからだ。
この方法は、
どうやら正解だったようだ。
歌詞を見なくても歌える曲が、何曲か出来てきた。
少しずつでも、
歌詞の意味を理解しながら歌えるようになってくると、やはり嬉しい。
…が、
JPMを歌えるようになってくると、
少し物足りなさを感じるようになってきた…。
そうなると、OPMにも俄然興味が湧いてくる。
original philippine music 、正真正銘のタガログソングだ。
YoutubeでOPMを検索し、視聴する回数が自然と増えていった。
"Miss na Miss kita"は、
タガログ語で、
あなたにとても逢いたい…という意味。
恋人同士でよく使うフレーズだ。
タガログ語の愛の表現というと、
Mahal kita 愛してます
Gusto kita 好きです
Mahal kita mula sa puso 心から愛してる
Ikaw lamang ang mahal ko あなただけ愛してる
Mahal kita walang iba あなたの他に愛してる人はいない
…
もう恥ずかしくなるくらい、たくさんある。
OPMには、そんな愛の言葉がたくさん入っている。
フィリピン人は、ロマンチストなんですね。
日本人より愛情表現がストレートなので、初めは、
うわっ、恥ずかしい(/ω\)…
と思ったのだが、
慣れてしまった今は、逆にそんな直球さがフィリピンらしくていい!!
そう感じている。
タガログ語ミュージック、
別名 Original Philippines Music…略して、OPM。
かつての日本のヒット曲が、
さまざまなフィリピン人アーティストによってタガログ語で歌われているが、
これも、その一つ。
いわゆる、JPMと呼ばれている曲だが、
原曲はサザンオールスターズが歌った、”いとしのエリー”だ。
ある世代以上なら、ほとんどの人が男女問わず知っている、有名な曲。
ネット普及した現在なら、10代や20代の若い世代も聴いたことがあるかもしれない…。
日本の音楽界を代表する曲の一つ、とも言えるだろう。
この曲は、
自分が小学生高学年の頃に大ヒットしたから、記憶に鮮明に残っている。
その頃のサザンは、まだデビューからあまり間がなく、
”イロモノシンガーグループ”
この”いとしのエリー”をタガログ語で歌っているのが、
April Boyだ。
April Boyは、フィリピンでは有名なシンガー。
ヒット曲も多く、確か他にもJPMを歌っているはず…。
自分がタガログ語やOPMに興味を持ち始めた頃、タガログ語ソングを探すと、
必ずと言っていいほど、彼らの歌声があった。
ジャケット写真に写る、帽子を被った2人に、
またか!
と思ったほど露出ぶりが多く、人気を誇ったシンガー。
フィリピンで買った彼らのCDは、
今も大事な宝物だ。
April Boyの曲は、懐かしい…と同時に、
時々聴いては、いろいろな思い出がよみがえってくる。
自分にとってのタガログ語、OPMの原点を作ってくれた存在、
かもしれない…。
タガログ語Music…俗に言う、OPM。
OPMに興味を持ち始めた頃は、
日本のヒット曲のタガログ語バージョン、いわゆるJPMばかり探して聴いていた。
いきなり知らないメロディーのOPMはちょっと敷居が高く、
馴染みのある日本のヒット曲のメロディーで、タガログ語に触れようと思ったからに他ならないのだが…。
徳永英明 ”最後の言い訳” ”壊れかけのRadio”
中西保志 ”最後の雨”
郷ひろみ ”逢いたくて仕方ない”
小林明子 ”恋に落ちて”
安全地帯 ”じれったい”
松田聖子 ”抱いて…”
尾崎 豊 ”I LOVE You”
あたりが有名どころ?で、
フィリピン人シンガーによって、タガログ語で歌われている。
日本語の歌詞と全く意味が違うタガログ語だが、
入門用としては、うってつけかもしれない。
これらのJPMは、今CDを探しても、なかなか見つからないようだ。
JPMをかなり聴いていると、
次は本当のタガログMusic、OPMを聴いてみようか?という気になってくる。
次へのステップアップ…初心者から中級者になる、そんな感じか?
今ならインターネットでフィリピンのラジオが聴けるから、
好きなだけタガログMusicに触れ合える。
フィリピンの最新ヒット曲も聴くことも出来る。
OPM好きには、
フィリピンのラジオは必須アイテム。
タガログ語ニュースはAMで、OPMはFM放送で…。
自分は、そんな感じでフィリピンのネットラジオを聴いている。
時々ラジオで流れることがある、JayRのこの曲も、
好きな曲の一つだ…。
日本のヒット曲がOPMとして逆輸入されたことに対して、この人の存在は外せないだろう…。
フィリピンパブの常連さん以外には日本では無名だが、フィリピンでは有名なシンガーだ。
1990年に、徳永英明の『最後の言い訳』をタガログ語でカバーした、
『Ikaw Pa Rin』を歌い、
フィリピンの年間最優秀賞を獲得したほど大ヒット。
他にも、尾崎豊の『ILove you』、サザンオールスターズの『真夏の果実』
をタガログ語でカバー、アルバムを出している。
OPMに興味を持ち始めた当時の自分にとっては、
伝説のシンガーとも言えた。
なぜ、こんなにタガログ語が上手なんだろう…
流暢なタガログ語で歌う彼に、
憧れすら感じたのを覚えている。
フィリピンと日本のハーフだと噂に聞き、それならタガログ語が上手なのも当然だ…
と納得したものだ。
その後、
2000年代になりネットが普及すると、
日比のハーフという触れ込みは噓だという話も出たが、
真偽のほどは果たして…。
YouTubeを見ると、若い日本人男性シンガーが新たに Ikaw Pa Rinをカバー
しているが、″テッド伊藤世代″の自分からすると、
こんな歌い方もあるのか、と新鮮さもある反面、
やはり元祖の方が心には響く。
勿論、あくまでも個人的な主観で…。
この Ikaw Pa Rin はフィリピン人シンガーも何人もカバーしているが、
Willie Revillame のバージョンが個人的にはいい。
テッド伊藤の存在がなかったら、果たしてこれほど日本のヒット曲がOPMとして逆輸入されたか?
そして、過去に日本にタレントとして来ていたフィリピーナに、日本の歌が広まっていたか?!
そう考えると、日本のフィリピンパブの隆盛の功労者の1人なのではないか。
『Ikaw Pa Rin』を聴くと、20代の若かった水商売時代の事を思い出す、
思い出の曲でもある…。