タレント
日本でフィリピンパブが全盛期だった1990年代後半~2000年代前半にかけて、
多い時には、
年間約80,000人のフィリピーナが、
日本にタレントとして入国していたという…
彼女たちの日本での契約期間は、6ヶ月。
契約が終わると、
一旦フィリピンに帰国せねばならない。
そして、現地で6ヶ月待機。
リクエストがあれば、日本の同じお店で働くことができるが、
お店からのリクエストが無い場合は、
例えば、
前回は関東地方だったのに、
今度は九州地方のお店で仕事‥
という具合になったりする。
前回と同じ県に再度来ても、違うお店で…
ということもある。
この辺りは、
お客さんをたくさん持っていたとか、
パーティーチケットを何十枚、何百枚売ったかなど、
女の子がどれくらいお店に貢献したか?
で左右されるだろう。
選ばれし者だけが…
興行ビザで日本のフィリピンパブに来ることができるのは、
フィリピンで選ばれた人たちだけ。
希望しただけでは、
もちろん日本へは来れない。
ダンス、歌のレッスンを何日間か受け、
その後に行われるオーディションが、日本への最終関門。
大勢の、「日本行き希望者」との激戦をくぐり抜けた、
「オーディション合格者」は、
ダンサーかシンガーいずれかの肩書で、
晴れて日本に来ることができる。
フィリピンパブでの仕事はホステスかもしれないが、
シンガーの女の子は歌が上手い。
また、
フィリピーナは総じてリズムよく踊れるが、
やはりダンサーで日本に来る子は、踊りが一味違う。
さよならの向こう側
日本に来た彼女たちは、
日々の辛いことも歯を食いしばり、
自分の夢のため、
家族のため、
毎月のサラリーのほとんどを、フィリピンに送金する。
かつての日本の、
Γ女工哀史」に通じるものがあるかもしれない…
だが、彼女たちに悲壮さはない。
南国特有の明るさで、
楽しそうにさえ見える。
そんな彼女たちも、
6ヶ月の契約満了の最後には、
サヨナラパーティーでこの曲を歌い、涙を流す。
山口百恵のヒット曲「さよならの向こう側」が、
いつからフィリピンパブのサヨナラパーティーで歌われているのか?
はっきりとはわからないが、
これほどピッタリな曲は、
他には見当たらない。
きっと彼女たちは、
日本語の歌詞をローマ字で書き、
何度も声に出して覚えたことだろう‥
そんな苦労が目に浮かぶ。
この曲を聴くと、
涙が出てくる…
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