
フィリピンは英語通じるの?
アメリカ、イギリスに次いで、世界で三番目に英語を喋る人口が多い国が、
フィリピン。
意外と言えば、そんな感じもする。
自分の知り合いも、
「フィリピンって何語を喋るの?!英語は通じるの?」
と聞いてきたことがある。
「フィリピンはタガログ語だけど、英語も通じるよ…。」
「そうなんだぁ…フィリピンは英語が通じるんだ…。何か、意外な感じだな。」
そんなやり取りだったが、確かにフィリピンは英語がよく通じる国だ。
アジア諸国の中では珍しいかもしれない。
が、アメリカの植民地支配を受けたフィリピンの歴史を考えれば、英語の普及率が高いのも頷ける。
最近では、フィリピンの英語使用率の高さに目を付けた日本の語学学校などが、
フィリピンへの英語留学を煽り、日本人の間でフィリピン英語留学がちょっとしたブームになっているが…。
元々は韓国の語学関係者がフィリピンに目を付け、
英語留学で成果を出しているのを見た日本の語学業界も、遅ればせながらフィリピン英語留学に参入したらしい…。
フィリピンEnglish?!
確かに、フィリピンの大統領などが英語で演説しているのをTVなどで見かけることがある。
妻に言わせると、
大統領とかの偉い政治家やVIPクラスになると、普段でもタガログ語より英語を喋る確率が高いらしい。
そう言われると、大統領のタガログ語の演説は日本のTVではまず見られない…。
フィリピンでは小学生から英語を勉強する。
確かに、自分が初めてフィリピンへ行った時も、妻のお姉さんの子供たち(当時、まだ小学生)は、
簡単な英語を喋っていた。
英語が苦手な自分よりも、上手だった記憶が残っている…。
子供でも英語の歌を歌えるのは当たり前、
妻の親戚の叔父さんなどは、流暢な英語で自分に話しかけてきたりして、
英語が話せないのが恥ずかしかった苦い思い出がある…。
そんなフィリピン英語だが、やはりアメリカ、イギリスの本場の英語と比べると、
????
と首をかしげる様な発音があったりもする。
英語が苦手な自分が言うべきことではないかもしれないが、
フィリピン英語留学でネイティブスピーカーを目指すのは、どうなんだろう?
などと思ってしまうことも…。
フィリピンの英語講師ともなれば、変な発音は無いだろうから要らぬお節介かもしれないが。
今度フィリピンに行く時は、今よりも英語を喋れるようになっていたい…と思う…。

3.3%の少数派
二十歳くらいの頃、街中で手をつないで仲良く歩いているカップルを見かけたりすると、
「彼女がいてイイなぁ~」とか、
「彼女がほしいなぁ…」
と無性に思ったものである。
その後、ある女性(日本人)と付き合うことになり、
念願だった彼女ができた嬉しさで、毎日が楽しくて仕方なかった。
彼女は結婚したら、どんな奥さんになるだろう?
そんなことを意識し始めた矢先、ちょっとしたことが原因で、その彼女とは別れることになってしまった…。
結婚するのは、難しい…
自分は将来、どんな奥さんと生活しているのだろう…
当事者の男女のほかに、お互いの家族をも巻き込む結婚とは、やはり難しい現実だ…と思ったものである。
同じ日本人でさえ難しい結婚。
相手が外国人となれば、尚更困難になるのは容易に想像できる。
2015年の厚労省婚姻に関する統計によると、
日本人男性の国際結婚する割合は、日本人女性の二倍にもなり、
結婚相手の女性の国籍は、中国に次いでフィリピンが二番目になっている。
そうなるとフィリピーナが奥さんというのも、ありかな…とも思えるが?!
しかし、国際結婚の割合は結婚全体の3.3%と、やはり少数派だ。
フィリピーナを妻に迎えた自分も、この少数派の1人。
良く言えば、希少価値な存在、
悪く言えば、常識外の存在、というところか。
フィリピーナじゃ恥ずかしい?
フィリピーナの彼女と結婚したくて、半ば勢いに任せて突っ走り、無事に?!
奥さんに迎え、少数派の仲間入りを果たして18年…。
結婚当初は喜びに浸っていたが、反面、彼女がフィリピーナという外国人であることに恥ずかしさもあった。
パッと見は日本人ぽくても、そこはやはりフィリピーナ。
日本人より目はパッチリしていて大きいし、肌の色も浅黒い。
そして、日本人と明らかにアクセントの違うヘンな日本語を喋り、話し声も大きい…。
いかにも東南アジア、フィリピーナとわかってしまう!
病院の受付で彼女の名前を呼ばれる時などは、
この人は日本人じゃないなぁ…という周囲の人の反応に、
夫として堂々と振舞えなかったことも。
一緒に買い物とかに出かけても、結婚当初は周囲の目を気にしてばかりだった…。
好きで一緒になったのに、今思えば随分彼女に失礼な感情を心の中に抱いていたことになる。
それでも、結婚して2、3年過ぎた頃にはそんな感情も無くなり、フィリピーナの彼女を妻として素直に受け入れている自分になっていた…。
今なら、フィリピーナの奥さんはあり!!と堂々と言える。

夢は金髪美人と結婚すること?!
調理師学校に通っていた頃、妙に気の合う男の友人が1人いた。
自分よりも5,6歳年下で、野球選手のイチローに少し似ていて、
他の人から見れば生意気な感じもするが、くだらない冗談を言い合ったり、何となく憎めない男だった。
授業態度も彼はそんなに真面目には見えなかった。
調理師学校に入学後しばらくしてから水商売の世界(フィリピンパブ)
に飛び込んだ自分も、授業に真面目さがなくなっていたので、そんなところもお互いを引きつけていたのかもしれない…。
背は小さいが、髪をジェルでツンツンに立て、少々イキがってるイチロー気取りの彼と、当時旬だった小室哲哉ばりに長髪を茶色に染めて、『いかにも水商売の男』という匂いを漂わせていた自分…。
環境が人をつくる、というが、毎日陽気なフィリピーナと接していたから、楽しいのがいい、堅苦しいのは嫌だ!という気持ちが強かった。
今思えば、真面目に調理師学校に通っていた人達の中で、そんな自分は異質な光を放っていたに違いない。
ある日、授業の合間にいつものようにバカ話をしていて、
「将来、金髪のアメリカ人女性の恋人をつくり、結婚してアメリカに住むのがオレの夢だ!」
と言ったら、
「カッコイイですね~。金髪、いいじゃないすか!」
と、すかさず彼が切り返し、2人で大笑いになった。
金髪のフィリピーナがいい…
フィリピンパブで働きだしていたから、外国人に免疫ができたのかもしれない。
だが当時は、アメリカに住んでみたい!という思いが漠然としてだが心の中にあった。
その思いが、金髪女性と恋人になる!と言わせたのだろう。
永住権(グリーンカード)を取って、アメリカ本土かハワイに移住したい!
現在はわからないが、その当時、抽選でアメリカ永住権を手に入れられるというシステムがあり、日本の旅行代理店が手続きを代行していたことがあった。
こんなチャンスはない!!とばかりに、2年続けて抽選に応募したが、
確固たる目的、動機もない者が簡単にグリーンカードを手にできるほど世の中は甘くない…。
数万円の手続き代行のお金を払っただけの徒労に終わってしまった。
抽選に2年連続で外れたことで、金髪女性を恋人にすることも、アメリカに移住する夢も急速に萎んでしまったが、
代わりに芽生えたのは、フィリピーナと恋人になるという夢だ…。
夢、と言うより淡い期待と言った方が正確かもしれない。
簡単なタガログ語を覚え始め、お店のフィリピーナ達とも仲良くなってきていたから、そう思うのも当然だったろう。
そんなフィリピーナ達の中に、1人だけ金髪の女の子がいた!
マリリンモンローみたいな雰囲気で、アメリカ人と言われても思わず信じてしまうほどの彼女。
金髪女性を恋人にしたいと思っていた自分は、心を動かされかけた…。
が…
その彼女以上に、恋人になりたい!と後に強く思うフィリピーナが現れることになるとは、まだ気づかないでいた…。

言葉は通じなくても…
結婚の承諾をもらうために初めてフィリピンを訪問して、そこで彼女の両親と初対面した時のことは、今も鮮明に覚えている…。
見た目は怖いが、優しさがにじみ出ているお父さん、
笑顔が素敵なお母さん…。
なぜか、安心できるご両親…初対面なのに、昔から知っているような不思議な感覚だった。
大事な末娘の夫になる自分に対し、とても気を遣ってくれた。
食べ物は口に合うかとか、暑くて喉が乾いて飲み物が欲しくないかとか、言葉が通じなくてつまらないんじゃないか…。
彼女のご両親は日本語はわからないし、自分はタガログ語は簡単な言葉しかわからない。
それでも、優しい気持ちは十分伝わる。
日本で平均的な収入でも、フィリピン人から見ればお金持ち。
フィリピン人はお金目当てだから、娘の夫になる日本人に優しくするのは当たり前…
そんなうがった見方をする人も、確かにいるだろう。
だが、そう考えられないだけだとしたら、とても悲しいことだ…。
そんな考えの人は、まずフィリピーナと結婚しようとは思わないだろうが。
遠く離れていても…
そんな優しいご両親も、数年前にお父さんが病気で亡くなられ、今はお母さんだけになってしまった…。
お母さんも、もうすぐ80歳を迎える高齢。
最近は足が不自由になり、歩くのも大変な状態だという。
昨年、妻がフィリピンに里帰りした時の写真を見ると、以前より痩せて、おばあちゃんという感じになっていて、少しショックを受けた。
自分は仕事の都合もあり何年もフィリピンへ行っていないので、昔のお母さんのイメージが強く残っているだけに、年を取ったお母さんの姿は悲しくも見えた…。
アナタは私の日本の息子だよ…
そう言ってくれた心優しいフィリピンのお母さんには、まだまだ長生きしてほしい…
そんなに遠くないうちに、妻と二人でフィリピンに必ず行くので、待っていて下さい!
それまで元気でいてほしい…
毎日そう願わずにはいられない…。
食わず嫌いだった…
自分が二十歳の時、職場の先輩に連れられ、初めてフィリピンパブに足を踏み入れた。
当時は日本人の女の子のお店には毎週のように飲みに出かけていたが、フィリピンパブには興味がわかなかった…。
それは、フィリピンからの出稼ぎのホステス、片言のよくわからない日本語、そしてフィリピーナに関わるとトコトンお金を搾り取られる…という噂やマイナスイメージから興味が持てなかった。
フィリピン人は基本的に明るく人懐っこく、ジョークが好き。そして、とても家族思いだ。
特に、両親のことは大切にする。
家族のために出稼ぎで日本に来ることも、厭わない。
当時はそんなことなど知らないから、
日本語が通じないし、化粧も濃いし、つまらない…
それだけの理由で、フィリピーナ、フィリピンパブを意識的に避けていた…。
だが、それは食わず嫌いだった…。
結婚して気付いた…
ふとしたきっかけで、フィリピンパブで仕事をするようになった。
出稼ぎに来ている境遇さえも、まるで楽しむかのように、いつも笑顔を忘れないフィリピーナたちを目の当たりにした時、
あぁ、なぜ気付かなかったのか?!
と思わずにはいられなかった…。
明るくジョークが好き。
南国気質と言えばそれまでだが、日本人にはない、太陽のような天性の明るさに触れた時、こちらの気分までが明るくなるのを感じ、その魅力に気付かされた。
悪く言えば、フィリピーナの魔力にハマってしまった…。
そして、まさかフィリピーナと結婚するとは自分でも驚きだ。
止めたほうがいいよ…
そう忠告してくれる人もいたが、彼女と結婚したい!という勢いに任せて突っ走った…。
世間一般からすれば、あり得ないかもしれない。
信じられない、バカな奴だ、人生終わったな…そう嘲笑し冷ややかに見る者もいる。
だが、フィリピーナと結婚したからこそ見えてきたこともある。
もし日本人女性と結婚していたら、フィリピンとは無関係の人生を送っていたかもしれない。
日本人、日本について今みたいに考えることはなかったかもしれない。
フィリピンの貧困について考えることもなかったかもしれない。
だが、やはりフィリピーナと国際結婚して良かったと思っている…。
自分に色々な気づきを与えてくれた妻に、感謝したい。
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