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国際結婚相談所って…?!

 

結婚しない選択肢

いきなりですが…

日本は、正社員よりも非正規雇用割合いが高い、と言われていますよね。

 

 

昔ならば(バブル時代くらいまで)、

『終身雇用』
『年功序列で給与アップ』

 

が保証されていた。

 

 

しかし現在は、
企業側は必要な時安い費用で人員を雇い、
必要がなくなれば、
平気で契約解除してしまう。

 

 

安い給料で、不安定な雇用状態。

 

 

ためか、
結婚適齢期男性が、なかなか結婚踏み切れない…
ということが問題となっいる。

 

 

結婚したくも、できない。
または、
結婚し夫婦共働きしも、
子供を1人か2人育てるのに、精一杯。

日本少子化が問題視されて久しいのに、

さら加速させしまう大きな問題なのに、

解決の糸口は見出せていない。

 

 

『結婚は、必ずしなければならないものではない』

そんな価値観も認知され、

 

結婚できない、ではなく、

 

結婚しない、

という選択をする人も増え、

 

 

 

結婚して一人前

という風潮は、遠い過去の話になった。

 

 

フィリピーナ紹介します…?!

 

そんな問題がある一方で、

結婚したい…!
という人たちもいる。

 

 

しかも、
フィリピン女性と国際結婚したい!!
という人たち…

 

そし
そんな人たちため
″フィリピン女性結婚相手を紹介する″会社がある。

 

もしかしたら聞いたことがあるかもしれません…

 

 

「フィリピン国際結婚相談所」

 

いくつか会社 HP を開くと、

トップページで満面笑みを浮かべた南国美人女性写真が、

訪問者をにこやかに出迎えくれる…

 

 

″水商売女性でなく、スレいない一般フィリピン女性を紹介″
″フィリピン女性は明るく、情厚く、働き者″

 

 

 

そんなフレーズの先には、

日本人男性との結婚を希望するフィリピン女性が、

写真付きで紹介されいる。

 

 

なかには、

動画でアピールする女の子も!

 

 

見た感じでは、
『ミス・フィリピン』選ばれるような、
彫り深いスペイン系よりも、

黒髪でカワイらしい顔立ちフィリピン女性が多い。

 

日本人男性は、
″カワイイ女性が好み″らしいで、
一目惚れしやすいかも?!
しれませんね。。。

 

 

最低でも100万円必要?!

そんな『フィリピン国際結婚相談所』の気なる費用は…

 

 

 

1回渡航で10万円台~

 

そこからはオプションがあったりで、

合計100万円台を越えまうことも。

 

最低でも、100万円ぐらいはかかりそうだ。

 

 

 

 

 

当然ながら、
1回渡航で結婚は決まらない。

2回、3回とフィリピン行くが普通。

 

 

1回目が顔合わせ
2回目で結婚手続き、結婚式
3回目で、フィリピン奥さんを迎え行き、一緒日本入国…

そんな流れなるようだ。

 

 

 

フィリピン女性と国際結婚で結婚相談所を利用した場合、

結婚相手紹介など費用とは別

 

 

日本─フィリピン往復旅費
フィリピンで宿泊ホテル代、
食事代などは、自腹。

というのが多いようです。

 

 

 

「そこまでし、フィリピーナと結婚したいか?!」

と、
私が言える立場ではありませんが…

 

 

というか、
結婚相手紹介っ
フィリピンでは認められいるんだろうか?!

ダメだと聞いたこともあるが、実際は…

 

 

そんな疑問も浮かんできました。。。

 

フィリピーナと結婚するメリットは?!

でも、
結婚をする前
よくよく考えくださいね?!

 

文化、習慣、育ち方も思考も、

言葉も異なる国二人が結婚するのだから、

 

 

 

前途待ち受ける困難は…

 

 

もちろん、
お互いを尊重し、手を携え生活しいけば、
明るく幸せな家庭を築けます。

 

日本人同士結婚とは、
ひと味も二味も違う、
楽しい生活なるでしょう。

 

 

 

 

 

フィリピーナと結婚するメリットは。。。

 

 

1,フィリピーナは明るい性格。

南国特有のポジティブさがあります。

 

辛い時もジョークを言ってあなたを笑わせたり、励ましてくれるでしょう。

一緒に暮らしていると、

毎日が本当に楽しくなりますよ。

 

2,好きな人には、とことん尽くす。

 

仕事で疲れた日には、

マッサージであなたを癒してくれるでしょう。

 

3,働き者が多い。

 

料理、洗濯、掃除などの家事はもちろん頑張る。

 

そして、

フィリピンの家族への仕送りのために、

自らパートに働きに出ることを厭わない。

 

 

以上、
経験者は語る…。

 

 

やはり思いやりが大切…

ただ、

フィリピンへの送金問題は避けられない。

フィリピーナと結婚したら、これだけは覚悟が必要。

 

 

毎月は送らない、

こっちが苦しくなるような大金は送らない、

どうしても頼まれた時だけ送金する、

3ヶ月に1回だけにするとか、

 

 

2人なりのルールを作るといいですね。

 

 

 

 

 

そし

「こんなパズじゃなかった…」
そんな後悔をしないため

 

 

まず大切なは、相手対する思いやり。

 

 

自分を愛するよう
パートナーを愛しなさい…

 

これが、とても大切です。

 

 

とはいえ、

言葉でいうほど簡単ではない時もあるでしょうが…

 

 

いつも彼女の笑顔を見ていたいですよね~

 

 

 

 

そして、

彼女が日本語を話せるとしても、

 

 

 

旦那さんもタガログ語を勉強したりして、

コミュニケーションを深めることや、

 

フィリピンを理解する努力は怠ってはいけないと思います。

 

 

経験者は語る。。。

 

 

 

以上、

フィリピーナとの国際結婚のメリット、デメリット、

国際結婚相談所について、

私の経験から語ってみました。

これって…ナニ?!

 

 

面白い乗り物?!

フィリピンに行くと、日本との違いに驚かされる。

気候、習慣、風景、食べ物などなど。

 

『治安の悪い発展途上国』

 

多くの日本人にフィリピンはそのように認識されている。

もちろん、それは事実でもある。

 

だが、高層ビルの立ち並ぶ首都マニラの街並みは、

とても発展途上国とは思えない。

 

 

 

そして、

朝夕の交通渋滞は日本と変わらないか、

もしかしたら、それ以上の酷さだ。

 

平気でクラクションを鳴らしまくり、

我先にと隙間を縫うようにして走る車、バイク。

 

 

昔は日本の中古車が多かったが、

今では綺麗な車が当たり前になった。

"庶民の足"ともいえるジプニーは、

大音量で音楽を流しながら、ご機嫌に走っている。

 

 

南国特有の熱気と、何とも言えない喧騒―

とにかく活気に満ちている。

 

 

そんな中を、

ジプニーと同じくフィリピンらしい乗り物が走っている。

 

 

それが、"トライシケル"だ。

 

 

フィリピン版サイドカー…?!

 

トライシケルとは、簡単に言ってしまえばサイドカーだ。

 

自分が子供の頃はまだ走っていたが、

最近の日本では、めっきり見かけなくなった。

 

 

バイクの横に、人が乗る座席が付いている乗り物だ。

 

 

ジプニーが乗り合いバスとすれば、

トライシケルはタクシーだ。

 

近所へのちょっとした外出や買い物などで、気軽に乗れる。

 

 

それだけに、フィリピンのどこに行っても走っている。

 

 

一家に一台…

 

 

というわけではないだろうが、

かなりの割合で所有している家が多い。

 

トライシケルドライバーとして、すぐに仕事ができる…

というのもあるかもしれない。

 

 

 

初渡比で、幸運なことに?私はこのトライシケルに乗ったが、

お世辞にも、

 

 

 

乗り心地は良くない!!

 

 

だが、

座席周りがドアや窓ガラスで密閉されているわけではないので、

南国の風を体に感じることができる。

 

 

そして…何とも気持ちいい!!

 

 

 

不思議なもので、トライシケルに乗る度に、

「乗り心地の悪さでさえ、愛おしくなってくる」。

 

 

これがフィリピンなんだよ…

 

そう感じるのである。

 

 

 

こんなところも、フィリピンの魅力の一つだろう。

 

夜明けは近い…のか?!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさしく蟻の一穴から?!…

コロナウィルスがここまで全世界に蔓延し、多くの犠牲者を出し、

 

いまだ現在進行中で、

収束の見通しさえ立たない現状は、

 

私はもちろん、世界の人々にとってもストレスだ。

 

 

 

 

 

 

それを初めて見たのは2019年11月下旬、

Twitterでの短い一文だった。

 

 

『中国の武漢で新種のウィルスが発生、流行…』

 

世界はもちろん、

日本でもこの時期、新型ウィルス(コロナウィルス)への関心はまだ皆無に等しかった。

 

翌年2020年2月くらいから、

COVID‐19  (日本ではコロナウィルスと呼ばれた)が、

全世界を恐怖のどん底に突き落とすことなど、

 

この時点で一体誰が想像できただろうか…

 

 

 

 

新型ウィルスと言っても、

場所は中国の内陸部。

SARS の時のように、

限定的な流行で、数ヶ月で終わるだろう…

 

 

多くの人はそう思っただろうし、

私もそう思っていた。

 

 

 

事実、

2020年になり、心配する一部の声はあっても日本は中国からの入国規制をすることもなく、

危機感は無かった。

横浜に入港していた「豪華客船ダイヤモンドプリンセス号」での新型ウィルス蔓延も、

 

"一種の事故"

 

と捉える向きの報道もあるほどで、

まだ対岸の火事と思われた。

 

 

ロックダウン

だが海外では、

外国からの入国を停止する国も出始めた。

 

フィリピンでは、今に続くまでのロックダウンの始まりだった。

 

 

国民の外出規制を強化する国も多くなり、

日本でも2020年4月に、

 

『緊急事態宣言』

 

が出されるに至った。

 

各家庭に特別給付金が支給されたり、

「アベノマスク」が配られたりもした。

 

密集、密閉、密接の三密を避けたり、

そのために多くのイベントの中止が相次いだ。

 

 

また、外出時は常にマスクをするのが常態化。

 

 

不要不急の外出は控えるように…

という言葉も叫ばれた。

 

それまでの常識が通用しなくなり、

本当に時代が変わる真っ只中。

 

 

歴史の転換点を私たちは生きている…

 

そう思える毎日だ。

 

 

隔離期間5日

そんなコロナ禍が続いているが、

 

今月10月からフィリピンでは、

2回のワクチン接種終えている、グリーンカントリーからの入国者は、

隔離期間を5日間に短縮するという。

 

 

各国のコロナ感染者の状況により、

フィリピンではそれぞれの国をグリーン、イエロー、レッドに色分けしていて、

日本は現在イエローカントリー。

 

まだフィリピン入国時には、

2週間の隔離期間が必要。

 

 

 

そんな中、グリーンカントリーからの入国者の5日間への隔離短縮は大きい。

 

 

とはいえ、

観光VISAでのフィリピン入国はまだまだのようだ。

 

 

 

アフターコロナで、

フィリピンへの入国が全て以前のようにはいかないだろうが、

 

観光での自由な入国に、

一歩近付いたと願いたい…

 

 

 

南方の人…

 

次はフィリピンで?!

昔、日本人はフィリピンはじめ東南アジアのことを、

「南方」

と呼んでいた。

 

私にも、そんな南方に関するこんなことがあった。

 

 

‥‥

 

 

彼女と結婚の約束を取りつける段階まで、

たどり着くことができた頃のことだ。

 

 

 

「フィリピンでイカウのこと、待ってるよ!!」

 

そう言い残して、

年末の慌ただしい時に、彼女は両親や兄姉の待つフィリピンに帰っていった。

 

 

 

以前、彼女が同じ県内の違うお店を契約満了で帰国した時は、

 

「もう会えないかもしれない…」

 

そんな悲しさがあったが、今回は違う。

 

 

 

 

オレは、彼女と結婚するんだ!!

 

 

彼女の人生を背負っていくんだ‥

 

嬉しさとともに、責任感に思わず拳をグッと握りしめる。

 

 

ともあれ、

年が明けた1月下旬にフィリピンに渡航すると決め、

準備に入った。

 

シャツ1枚にバナナ…

久し振りの海外渡航。

 

本屋でフィリピンに関するガイドブックを買い求め、

マニラ空港で無事に入国審査を通過できるように、

何回も目を通した。

 

フィリピンの成り立ち、気候、国民性などなど、

大体わかっているつもりだったが、

改めてそれらも読んだ。

 

 

 

 

フィリピンはルソン、ビサヤ、ミンダナオ地域に大きく分けられる。

 

日本で例えるなら、

首都マニラがあるルソンは関東、

セブのあるビサヤは関西、

ミンダナオは九州‥

 

といったところだろうか。

あくまでも私の主観だが…

 

 

 

彼女の住む「リザール州」はマニラ首都圏の隣に位置している。

だから、マニラ空港から約2時間もあれば彼女の実家に着く。

 

 

今ならインターネットで地図が見られるから、

すぐにそうわかる。

 

 

だが、1990年代後半はスマホなんかない。

もちろんネットもまだ一般には普及していない。

 

 

なにしろ情報が少ない。

 

 

また、

私の両親は子供時代に戦争体験があったので、

小学生ぐらいから、戦時中の話をよく聞かされた。

 

そんな時に出てくるフィリピンは、

「南方の国」であり、

現地の人はシャツ1枚で一年中過ごし、

お腹が減ったらバナナばかり食べている…

 

という類のものだった。

 

顔にペイントしてダンス?!

またガイドブックには、

 

"フィリピンにも少数民族と呼ばれる人たちがいて、

ルソン、ミンダナオの山岳地帯に暮らしている…"

 

 

というような記述もあった。

 

 

そして、

何かのお祭りだろうか…

 

顔を真っ白にペイントした男たちが、

いくつもの角が出たような被り物を頭にかぶり、

派手な衣装をまとって踊っている様子が、

写真で紹介されている。

 

 

 

これは何かの奇祭か‥?!

 

 

 

彼女の住む地域も、

このような怪しげな祭りをする辺境の地なのだろうか‥‥

 

 

いつかTVで見た、

どこかの原住民が肩を組んで輪になり、奇声をあげている祭りのシーンがよみがえる。

 

 

 

まさか、未開の地じゃあるまいし…

 

 

 

今になれば笑い話だが、

あの時は本気でそんな心配をしていた。

発展途上国という言葉から、

そんな勝手なイメージを抱いていたのだ。

 

 

 

まったく、

私は典型的な日本人のようだ。

フィリピンでも喜ばれる‥

 

 

 

 

 

 

パンシットカントンも美味しいが‥

パンシットカントンという、美味しいヌードルがフィリピンにはある。

 

私も大好きだ。

 

辛さが何種類かに分かれているが、

暑いフィリピンで、

辛さで汗をかきながら食べるパンシットカントンは、また格別の味だ。

 

 

日本にいても、

フィリピンレストランの中にあるサリサリストアで買うことができる。

しかし、

やはりフィリピンで食べるほうが何倍も美味しい。

 

 

 

フィリピン人も日本人同様に、

インスタント食品が大好き。

 

そんなフィリピンに持って行って喜ばれるお土産は、

"カップヌードル"だ。

 

それも、

日清カップヌードル シーフード

 

が一番人気。

 

 

これは、私が妻と結婚する前から変わらない。

20年以上続く、日本からフィリピンへのお土産の定番だ。

 

フィリピンパブのタレントや、在日のフィリピーナたちがフィリピンに帰国する際、

日清カップヌードルのシーフードを2箱~3箱もカートに載せている姿が、

今でも成田空港などで見られたりする。

(1箱20個入りだが、家族や親戚の人たちに配るから、あっという間に無くなってしまう…)

 

 

だから、

カップヌードルの箱が載せてあるカートを、

日本人男性が1人で押している姿を成田空港で見かけると、

 

ははぁ~、あの人はフィリピンに行くんだな…

 

などと、渡航先の予想ができたりした。

そして、

その予想は100%に近い的中率。

 

 

私もフィリピン初訪問の時、

彼女(妻)のお願いで、お土産に日清シーフードヌードルを2箱持って行ったが、

恥ずかしい気分だったことを覚えている。

だが、フィリピン航空のカウンターに並ぶと、

3~4箱もカップヌードルをお土産にしているフィリピン人、日本人が何人もいるではないか!

 

 

フィリピンの人たちは、本当にカップヌードルが好きなんだな~

 

 

シーフードがいい!

ちなみに…

 

 

なぜ日清シーフードヌードルがいいのか?!

 

 

妻に聞いたら、

 

Γオイシイから‥」

 

 

 

と一言。

 

カレーや醤油味でなく、

シーフードじゃないとダメ、だという。

 

 

フィリピンでも日清シーフードヌードルは売られている。

しかも、日本よりサイズが少し大きい。

 

それでも、日本のカップヌードルの方が美味しいという。

 

 

だから、

今でも日清シーフードヌードルをお土産に持っていくと、

現地では喜ばれる。

 

 

日本人もカップヌードルが好きだが、

フィリピンの人たちも、同じくらいカップヌードルが好き。

 

 

 

美味しいものは、国境を越えてもオイシイのである。

 

 

私は"ピン中"…?!

 

隠されていた心?!

閉店準備をしていた私は、突然店長に呼ばれた。

 

急いでカウンターに向かうと、

店長の隣には、最近いつも見かけていた、

"あの人"が笑いながらこちらを見ていた。

 

 

すると、"あの人"が、

 

「おぉ、松田…お前、ピン中か?!」

 

と、突然話を始めた。

 

 

 

「…はい?!」

 

 

ピン中…って何だ?!

 

 

 

意味がわからず、答えに困ってしまった。

 

 

 

ちなみに

ピン中とは…

フィリピンパブにハマった人、フィリピーナが好き、フィリピンが好き。

タガログ語にも興味を持ち、カタコトでタレントの女の子に話しかけたり、タガログソングを歌ったりする。

 

というような人のことをいう。フィリピン中毒の略。

 

 

 

 

何か仕事で失敗したのだろうか?

 

 

 

そんなことを考えながら、

いろいろなことを思い出していると、あることに思い当たった。

 

 

 

待てよ、

そういえば…

 

 

 

実は数日前、

「男性スタッフが足りないから、

系列店である日本人の女の子のお店に、何日かヘルプに行ってくれないか?」

 

という話が店長からあったのだが、

 

 

「このお店で働かせてください!!」

 

と、逆にお願いしていたのである。

 

 

 

そんなことを思い出した私の顔を見ながら、

 

「松田、フィリピンが好きか?!」

 

"あの人"は、笑いながら尋ねた。

 

 

「はい、フィリピンが好きです!」

 

 

思わず、私はそう答えてしまった!!

 

 

豪快な男

「そうか、ワッハハハハ!!

 

お前はこの店で仕事しろ。

 

松田さんはピン中か…ワッハハハハ!」

 

 

 

なんと…

目の前にいるこの男性が、

 

私の勤めるお店を含めた、

グループ会社の「社長」だというではないか。

 

 

 

アルバイトで採用された時の面接は店長がしたので、

まだ社長には会ったことがなかったのだ!!

 

 

 

 

この人が社長…

 

 

 

笑ってはいるが、

鋭い眼差し、がっしりした体つきは近寄り難さすら感じる。

 

そして…

 

全身からは何とも尋常でないオーラが出ている。

 

 

水商売のプロ…

まさしく、『夜の世界に生きる男』だ。

 

 

 

仕事には厳しい人…

 

そんな噂は聞いていたが、

社長の厳しさを私が本当に知るのは、

まだまだ先のことになる。

 

 

ともあれ私はこの日、

初めて会った社長の眩しさ、男らしさに、

憧れを抱いた。

 

カッコいい?!

 

 

フィリピーナが好きな男性のタイプ?!

 

今から話すことは、現在はそうではないかもしれない。

 

だが、

 

これは私がフィリピーナの妻と出会った当時、

フィリピンパブ界隈でまことしやかに広がっていて、

多くの日本人に信じられていた。

 

また、

実際に事実であった話だ。

 

 

 

それは…

 

 

 

 

 

 

フィリピンの女の子が好きなタイプは…

 

 

 

 

太っている男性!!

 

だというのである。

 

 

 

 

マジですか?!

 

 

日本人の感覚からすれば、

 

太っている=だらしない、健康管理ができていない、

と捉えられ、

 

柔道のチャンピオンやプロレスラー、ボディービルダー、

相撲の横綱、大関などでもない限り、

 

『ただの太った人』だ。

 

尊敬の眼差しを向けられることも、ないだろう。

 

 

 

だが、

 

フィリピーナは、太った男性がタイプだという。

 

 

なぜ?!

 

 

太った男性は○○?!

フィリピーナが太った男性が好きな理由、

それは‥

 

 

お金をいっぱい持っているから!!

 

らしい…

 

 

 

フィリピンパブに来るお客さんは、

会社の社長さんとか、重役さんとか、

 

確かにお金を持っている人が多い。

そして、

それらの人たちは貫禄があるし、

太っている割合が高い。

 

 

 

なるほど…

 

 

 

シャチョーさん+太っている男性=お金持ち!!

 

 

タレントの女の子たちには、

そんな図式が成り立っているようだ。

 

 

 

そして、

フィリピンパブのタレントの女の子だけでなく、

 

 

どうやらフィリピンの人たちの多くが、

 

 

太った男性=お金持ち

と思っているらしい。

 

 

 

 

私が妻と結婚した当時、

フィリピン大統領は元俳優でもあった、

恰幅のいいエストラーダ氏だった。

 

皆から「エラップ」と親しみを持って呼ばれていたが、

 

太っているということは、

フィリピンでは悪い印象はあまり持たれないようだ。

 

 

 

健康志向‥

フィリピンは貧しい国‥

 

 

折に触れてそう言われるが、

 

その割には男女問わず、

太っているフィリピン人は意外に多い。

 

 

 

確かに、

やせ細っていると貧弱に見えるが、

 

太っていると頼もしいし、

妙な安心感もあるかもしれない。

 

 

 

先のことも大切だが、

今日をどうやって楽しむか?!

 

 

 

そんな楽天的な南国気質。

 

 

経済が発展し、成長中の現在のフィリピン。

健康志向も高まっているようで、

 

太っている男性がいい‥

 

という風潮は、

以前より弱まっているようだ。

 

 

 

パッキャオ~!!

 

フィリピンの英雄

日本人にあまり知られていないが、

フィリピンは、バスケットボールの人気が高い。

 

プロチームがあり、

試合がTV放送され、多くの人が熱狂している。

 

街のあちこちにバスケットボールのコ-トがあり、

大人から子供まで、ボールを追いかけている姿が見られる。

 

 

 

しかし、

そんな国民的スポーツともいうべきバスケ同様、

 

いや…

それ以上と言っていいくらいに、フィリピンの人々が熱狂するものがある。

 

 

それが、

マニー・パッキャオ…

 

 

 

フィリピンが生んだ、世界に誇る英雄だ。

 

ストリートファイター

ボクシング6階級制覇を成し遂げた男として、

今や「伝説」でもあり、

ボクシングファンの間でも人気があるパッキャオ。

 

 

 

日本でもかつては、

"ハングリースポーツ"ともいわれたボクシング。

 

「あしたのジョ―」のように、

不良でどうしようもなかった若者がボクシングに出会い、

 

富と名誉を手にするため、

成り上がるために、

ストイックにボクシングに打ち込む。

 

 

そして、ついに栄光を手にする‥

 

 

現代の日本人ボクサーは、

アマチュアからボクシングをしてきている選手が多いから、技術的には上手い。

半面、

生活は満たされているから、ハングリー精神が無くなった。

試合が面白くない…という声も耳にする。

 

「拳闘」でなく、スポーツになったのかもしれない。

 

 

 

 

 

だが、

 

フィリピンでは今でも、

貧しさから脱け出す手段として、ボクシングが存在している。

 

ストリートボクシングという名の賭け試合が行われ、

貧困層の少年たちがリングに上がる。

そして、勝った者はお金を手にすることができる。

 

 

 

すべては、貧しさから脱け出すため。

 

 

パッキャオも、かつてはそんな少年だったのだ…

 

 

栄光は色あせない…

そんなパッキャオが、

42歳にしてWBA世界ウエルター級タイトルマッチに臨んだ。

 

一度は引退しながらも、リングに復帰。

 

今回2021年8月22日、2年ぶりに試合を戦った。

 

 

結果は、残念ながら判定負け。

 

 

だが、

この敗戦で彼のこれまでの偉業が否定される…というわけではない。

 

42歳でリングに上がった気力、体力、精神力に、

賞賛の拍手を私は贈りたい。

 

 

 

 

『私はファイター。

だから、諦めない』

 

かつて、そんなことを言っていたパッキャオ。

 

貧しさから脱け出し、

世界チャンピオンにまでなった彼の言葉だからこそ、

説得力がある。

 

 

 

フィリピンと縁を持てたことで、

彼のことを身近に感じ、

そして応援できたことが、

素直に嬉しい。

 

 

私も、まだまだ人生諦めないよ…

ファイターになる。

 

 

ありがとう…My hero!!

 

 

 

サンパギータの花

 

ロジータの伝説

フィリピンの花というと、「サンパギータ」が有名ですが、
これはジャスミンの一種で、

良い香りがして、可憐な白い花がとても綺麗です。

 

 

マニラ空港を出ると、
サンパギータの花を繋ぎ合わせた首飾りを売っている子供の姿を、
よく見かけたりします。

 

 

 

そんなフィリピンを代表する花ともいえるサンパギータに、
悲しい伝説があることをご存知でしょうか?

 

 


まだスペイン人がフィリピンにやって来る前、
マニラ近郊に、バリンタワクとガガランギンという二つの集落があったそうです。

 

バリンタワクの領主には、ロジータという美しい娘がいて、

多くの若者が言い寄ってきましたが、
誰一人として、ロジータを振り向かせることができませんでした。

 

 

そんなロジータの心を射止めたのは、
ガガランギンの領主の息子である、デルフィンだったのです。

 

二つの集落は隣同士ながら、敵対関係にあり、

二人の親である領主も敵対しています。

 

 

しかし、誰もロジータとデルフィンの愛を止められません。

 

満月の夜に、

二人は集落を隔てている長く続く竹柵の一番端で、

密かに会っていました。

 

 

そんなある日、
バリンタワクの兵士が竹柵を壊してしまったことに端を発し、
ガガランギンとの間に領土紛争の危機が訪れます。

 

両軍がいよいよ戦端を開こうかという寸前、

 

 

ガガランギンの領主が病に倒れ危篤となり、
息子であるデルフィンが、戦の指揮を執ることになりました。

 

 

デルフィンには、戦闘の経験がありません。
そんな彼が戦場に出たら…

 

 

このことを知ったロジータは、
何とか戦いを止めさせようと使者を送ろうとしますが、

その前に戦いが始まってしまいました…。

 

 

 

激しい戦闘が何日も続き、
デルフィンも深い傷を負い、意識が薄れていきます。

 

 

「私が死んだら、ロジータと会っていた場所に埋めてほしい」

そう言い残し、彼は息を引き取ります。

 

 

 

そして、それを知ったロジータも、
失意のうちに病に倒れます。

 

何人もの医者が呼ばれましたが、

恋人デルフィンを失い、

悲しみに打ちひしがれたロジータを救うことはできず、

 

「私が死んだら、竹柵の外れに眠るデルフィンの横に埋めてほしい」
父にそう伝え、彼女は亡くなりました。

 

 

Sumpa kita!

それから長い年月が経ち、二つの集落も無くなり、

人々の記憶からも消えていきました。

 

 

そしてスペイン人がやって来てマニラの街を作り、
ガガランギンとバリンタワクのあった場所にも、人が住むようになりました。

 

 

しばらくすると、
二つの集落のあった場所に住むようになった人々から、

奇妙な噂が伝わるようになったのです。

 

 

 

毎年五月の満月の夜になると、若い女性の
「Sumpa kita!Sumpa kita!」(私は誓います!私は誓います!)
という可憐な声が聞こえてくる、と…。

 

しかし、声のする場所には白い花が咲いているだけ。

 

 

 

不思議に思った人々が、恐る恐るそこを掘り返してみると、

 

寄り添うようにして埋められた二つの亡骸が現れ、
白い花の根の先が、
二つの亡骸の口まで繋がっていたという。

 

 

 

それを見た長老が思い出したのです…

 

かつてこの地で、

デルフィンとロジータの悲しい愛の物語があったことを。

 

 

 

 

この話は瞬く間にフィリピン中に伝わり、

ロジータが白い花を通してデルフィンに伝えた
「Sumpa kita」という言葉は、

二人の永遠の愛を象徴する白い花の名前となったのです。

 

 

『Sumpagita (永遠の愛を誓う)』

 

 

 

 

この話を聴いた時、
私は涙が出てしまいました。

それと同時に、
サンパギータの花にまつわる伝説を今も大切にするフィリピンのことが、

今まで以上に好きになりました。

 

 

 

フィリピン人は、ロマンチストですね。

 

 

 

 

※なお、今回のこのお話は、
佐賀唯一のタイ式整体屋さんのブログから引用させて頂きました。
ありがとうございます

 

大家族がイイ?!

 

子供は5人

「日本人の配偶者等としての在留資格」

を得た妻を、

フィリピンに迎えに行ったその帰り、

つまり二人で日本に入国する日の朝に妻が大泣きしたのと同じ日、

 

マニラ空港に向かう途中か、

飛行機の中だったかの覚えがあやふやなのだが、彼女が突然、

 

 

 

「アサワコ、2人の子供、5人ね!!

アコ、子供大好きダカラ…」

 

といきなり言い出したのである!

 

 

彼女自身、7人兄弟姉の末っ子ということで、

やはり、家族は多いほうが良いということを、

幼い頃から感じていたのだろう…。

 

 

しかし、

 

 

 

 

今の日本で、子供が5人もいる家庭は珍しい。

それこそ、大家族としてTVに出られそうである。

 

「アサワ~、ワカッタ?!ハ!」

 

そう畳み掛けてくる彼女。

 

 

『子供5人もいたら、学校に通うようになったら一体どれくらいお金がかかるんだ?!』

 

 

 

そんな稼ぎが、この俺に出来るのか…。

 

 

今思えば、

この時の弱気が、その後の波乱万丈の結婚生活を招いてしまったのかもしれない。

 

 

「オォ、ワカッタよ!!」

 

そう答えたものの、仕方なしの返事だった…。

 

 

 

3年目に…

当初は、アパートで2人だけの甘い結婚生活が始まった。

いきなり自分の母親、彼女にとっては姑にあたる人との同居生活は無理だろう…と思ったからだ。

 

日本人同士でさえ、嫁姑の間は良いものではないのに、外国人となると全くどうなるのか予測不能状態。

 

 

それでも、そう遠くない場所に住む姑のところに頻繁に行ってるうちに、かなり打ち解けたらしく、

 

「お母サン、1人で住むカワイソウ。

アコ、一緒に住むヨ…」

 

自分からそう言い出し、2人だけのアパート生活は数ヵ月で終わり、

私、私の母親(姑)、彼女、の3人での生活が始まった。

 

 

 

この時、

自分は何となくまだ、アパートで2人で生活していたほうが良いのでは…?!

 

そう感じていた。

 

 

自分の独立心が、親と一緒に住むことで実家に甘えてしまうのではないか?!

そんな不安が絶対に無い!

と言い切れなかったからなのだが…。

 

 

この時の決断が、その後の結婚生活を決める、

最初のターニングポイントだったかもしれない。

 

 

 

人生に、もし…というのはないが、

この時まだアパートに留まっていれば、全く別の結婚生活になっていたに違いない。

 

 

 

そして、それから3年後のある日…

 

執筆者プロフィール
松田ミキオ (まつだ みきお)
フィリピンに全く興味が無かった男が、まるで運命に導かれるようにフィリピーナに恋をして、31歳で国際結婚。周囲の好奇の目をよそに、結婚歴18年が経過中。詳しいプロフィールはこちら
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